禊祓

小祭の次第を考えたので、次は中祭の次第を考えるのは当然だろう。ただし、その前に禊祓についてもう少し詳しく考えたいと思う。小祭の修祓は、祓詞と大幣で済ませるので、深く考えなくても良いが、中祭以上になると、禊祓を神事の重要な一部になるので、形を考えなけれなならない。

歴史的に、禊は身に付着した穢れを流す行事で、祓は罪を償う行事だったと言われるが、共通点は多いため合併してきたそうだ。そして、陰陽道から来た儀式も入ってきた。それは、茅の輪や人形が代表すると言われる。

祓の意味を込める償いは、初穂料に委託できるかと思う。初穂料の意味は償いにとどまるとしないが、一部をそうすれば、禊祓の一部として捧げることは当然になる。便宜の上でもそうしたほうが良い。なぜなら、水でのお禊の後で和装に着替えてもらうと先日書いたが、その場合初穂料を持っていくのは難しい。だから、禊の前に、祓の儀式の一部として初穂料を捧げて、その時点から祭員に預ける。

そして、禊では二つの形式は記紀神話で見える。伊邪那岐神が禊祓を行う時、まず黄泉の国の穢れが付着している服装を捨てる。そして、海水の中で身を清める。つまり、穢れが付着しているものを捨ててから、水で綺麗にする。そして、後世の慣習だが、何かの代行品に穢れを移して、処分する形式もある。雛人形は元々この形だったが、豪華になったらもう処分しなくなった。

その上、禊は元々海水で行う儀式であった。そのような儀式は今でも生きているが、神産霊神社は海岸に鎮座すると想定していないので、それは無理かもしれない。少なくとも、中祭の禊祓には手間がかかりすぎる。

では、中祭の禊祓を考えよう。まず、潔斎殿の外の祓戸で大幣でお祓いする。そして、靴を脱いで潔斎殿に入る。潔斎殿で、まず初穂料を奉る。この儀式で、祝詞も奏上される。初穂料を奉ってもらう神様は、祓戸大神にするが、これも後で論じたいと思う。この祓が終わったら、禊に進む。

禊はお湯で行う。大祭の禊はお水で行う可能性はあるが、中祭の場合、冷たいお水に浸かるようにさせるのは大きな壁になるのではないか。そして、穢れが付着したものを捨てる儀式は、ただ洋服を脱ぐことにしても良い。象徴的にそうなるし、さらに儀式を取り入れる必要はないだろう。

原則として、禊は裸で行うと言われるが、褌などを着用する習慣も生じている。神産霊神社では、素っ裸の禊を行うと思う。理由は主に二つある。一つは、それは伝統であること。伝統の理解を固めるための神社であるので、これは大きな理由になる。もう一つは、非日常の気分を沸かせるためである。儀式の一部として裸になることは、日常的な行為ではないので、非日常になっていることを実感させる。

禊のために、まず体を洗う。そして、湯船のような禊場に浸かる。その間、禊の祝詞を奏上してもらう。普通のお風呂ではないからだ。そして、お湯から上がって、和装に着替える。部屋の配置として、まず脱衣所がある。そして、次の部屋は体を洗う場所。それから、禊場に入る。禊場の反対側から出て、着衣所に入る。着衣所を出ると、もう社殿に入るところになる。

出るとき、直会などのこともあるので、後日に考えたいと思う。


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