では、大祭のための資格を描写することにはあまりにも時間がかかったので、これから氏子祭の大祭について考えたいと思う。その場合、潔斎から始まらなければならない。中祭の禊祓は、洋服を脱いで、お湯で禊をしてから、和装に着替える事としたが、大祭の潔斎はさらに踏み込んだ形とする。
まず最初に、中祭と同じような潔斎を行う。それから、純白の和装に着替えて、大祭の潔斎が始まる。延喜式などの古代の儀式帳によると、潔斎で肉食や音楽を忌むことがあったそうだから、それを導入する。他は日常の穢れと接しないことだったので、潔斎館で一夜を過ごせば、そのような穢れと接しないことはできる。そして、慎むことは重要で、別なところで生活する。それも、潔斎館での一夜によって満たされる。
一つの重要な要素は、別火で調理されたご飯を食べることだそうだ。この日は普通に火鑽で起こされた火にするようだが、もしかしてそれは由緒のある古社のみだろう。それでも、神産霊神社で導入する。肉食を忌むとしても、精進料理にしないかもしれない。精進料理は、もともと仏教の発想から来るので、神道の発想はちっと違う。例えば、海の幸を許すべきだろう。その詳細をちょっと後で考えるが、質素な料理を食べて、和室で寝るのは第一歩とする。
翌朝の禊祓もある。まず、浄衣で祓戸の神にお参りして、奉納する償いもので祓いをする。ここで、お金だけを奉納することは、ちょっと意義が足りないように感じる。伝統的な幣帛は、絹であるが、神社の不要なものを奉納するのはただの迷惑だし、祭祀自体の奉納もあるので、ちょっと考えよう。神社では、和紙を使うことは多いので、和紙を奉納するのはどうだろう。そして、綺麗な紙を奉納することは、祓いを象徴する。
そして、穢れたものを捨てる儀式がある。まず、浄衣を脱ぐ。そして、完全にものを捨てる。古事記の須佐之男命の神話で、自分の髪の毛を奉ったそうだから、髪の毛の一部を奉らせるだろう。髪の毛を奉って、火で焼却する儀式で、穢れたものを捨てることも象徴できる。
それから、禊の儀になる。大祭の禊は、できれば自然な川で行いたいと思う。架空な神社だから、川があると想定できる。完璧な伝統は、海水ですることだが、裸で禊するので、一般に見られない場所は必要だが、海岸でそうするのはちょっと難しい。その上、大祓詞では、川の瀬が穢れを流すこともあるので、川が良い。実践的に考えれば、塩水での禊であれば、禊の後で体を洗わなければならないが、象徴的にはそれは不適切だと思う。
禊の後で、祭服に着替える。これも和装とするが、その詳細は祭祀の質によって異なる。普通なら、黒紋付と黒留袖とする。現代の和装の一番正装であるからだ。未婚の若者は、女子は振袖で、男子は色のある羽織袴が良かろう。(とはいえ、選択肢を提供して、自由に選んでもらう。後で、この点に戻る。)
1泊がかかる禊祓いで、大祭の準備ができるので、次は式次第を考えなければならない。