この岡田三嶋神社は、厚木市の中だが、東名高速道路に近い。それでも境内は割と広いし、木々もあるし、いい神社だった。また駐在神職はいなかったが、四月の大山街道の神社には駐在神職は一人もいなかった。三嶋神社というのは、伊豆国の一宮の勧請だから、この地域には少なくないそうだ。この神社で興味を惹いた点が幾つかあったので、投稿の構成がちょっと悪くなるが、列挙する。
先ずは、鎮守の森だった。大きな木々もあったが、その間に大変小さくて植えたばかりの木の苗もあった。百年後まだ立派な鎮守の森が期待できる。このように将来を考える証拠を見つけると、励まされる。私の子孫が日本を歩いても、いいことと出会える、と。
そして、境内に鎮座する末社だ。とにかく多い。天神社、稲荷者、水神社、弁財天、そして道祖神も鎮座した。祠のすべては新しく、石造だった。これも将来に備えられた祠だと言えよう。それに、鳥居も玉垣も石造で新しかった。石碑がその理由を説明した。市道の修正のために神社が境内の一部を譲渡したので、その代償を使って新しくしたそうだ。(それに、日付は今年の三月吉日だったので、つい最近の工事だそうだ。)石碑によると幟竿、幟、玉垣はそうだが、祠も同じ工事の一部に見えるので、一部をそれにしただろう。これも、将来を確保するための判断だろう。一時金をこのように設備に使ったら、長く使い続けられる。
境内の設備といえば、二つを指摘したい。一つは鐘だった。前にもブログで述べたが、お寺の設備だと思われても、この地域の神社には多い。これはもう一つの例だ。そして、遊具もあった。英語のブログでこの前に「神社の境内には普通に遊具はない」と書いたが、それは嘘だったろう。必ずあるとは言えないが、大山街道の神社には少なくない。私がいいことだと思う。子供の元気が神社を活気させるからだ。
最後に、鳥居の注連縄の紙垂のことだ。写真からちょっと分かりにくいと思うが、紙垂は金属だ。これは確かに珍しいが、金属の紙垂には忍耐力があると否めない。
この神社の状況を全体的に考えたら、将来に世話をする人がいなくなっても神社が長く存続できるように整備されたようだ。それはただの長目で見ることか、この神社で具体的な後継者悩みがあるか、分からないが、どちらにしてもこの神社の長らく繁栄を祈りたくなった。