月曜日に、電車で会津若松まで行った。郡山まで新幹線だが、それから在来線の快速電車で会津若松に向かった。在来線の電車は、山の中を走るので、窓越しの風景は本当に奇麗だった。私は、やはり山が好きなのだ。仕事を考えたら山の地方に住むことはできなさそうだが、旅行先としてはいい。会津若松に着いたら、駅前の市に寄ったが、真由喜がかき氷と焼きそばを楽しく食べた。川崎での祭とまったく同じ食べ物だったが、三歳でそういう傾向は強いだろう。着いたら、バスで旅館に向かうつもりだったが、様子を見てタクシーに乗ることに切り替えた。丁度タクシーに向かったら、雨が降り始めたので、タイミングは完璧だった。
予約した旅館は、くつろぎ宿新瀧だった。初見で立派だなと思ったが、かなりいい宿だった。中規模だと言えるが、現在被災者が100人程度で避難生活を送るそうだ。福島第一原子力発電所に近い大熊町から避難した方だそうだから、いつ前の生活に戻れるかは見通しが立てない。旅行にいいところだったのに、数ヶ月の生活のためにちょっと厳しいのではないかと思わざると得ない。タクシーの運転士さんとちょっと話したら、同じことを言った。子供達には学校があるが、殆どの大人には昼間のやることはないそうだ。衣食住が整っているものの、仕事などはなかったら、かなりな精神的な負担になるが、解決方法を見つけるのは難しい。会津若松も不況だそうだから、求人はあまりないと言われる。ボランティアなどの活動の貼り紙があったが、仕事などはないと大変だと思う。
火曜日は、街を歩く日だった。ただし、私たちには疲れがあった、真由喜が起きてからぐずった。朝ご飯の時はちょっと酷かったし、午前中ぐずり始めたり抱っこを求めたりすることがあった。それでも、会津若松の七日町に向かった。イギリスにいる家族や友達のためのお土産を買うことにしたので、会津地方の伝統工芸の白木というお店を回った。先ず、会津塗りの漆器屋さんに入ったが、漆器はやはりいいよね。いつか家紋入りの椀などが欲しくなってしまった。それから、案内本に載った渋皮問屋というお店でお昼を食べた。私が福島牛を食べたが、美味しかった。放射能性セシウムの問題があるが、一回なら大丈夫だと思うし、必ずしも汚染されるとは限らないので、楽しんだ。実は、大変美味しかったので、出荷がすぐに許可されるように望む。
ここで、真由喜がしつこく抱っこを求めて、結局私の肩で寝てしまった。買い物は終わったので、ゆり子が寄りたかったレトロカフェに向かった。選んだカフェは、會津壱番館というが、野口英世が医学を学んだ場所に建つそうだ。真由喜がずっと椅子の上に眠っていたので、ゆっくりコーヒーなどできた。私の飲物は、インカコーラだった。それは、ペル産の飲物で、「本物のコーラ」だそうだ。黄色だが、美味しかった。ペル産の物が売られる理由は、野口博士が南米で研究を進めたからだと思う。
カフェで、私はもう疲れていたし、真由喜を待ちながら軽い雨の中で観光する気分ではなかったが、ゆり子が会津武家屋敷を見に行きたがっていたので、結局観光バスに乗って、武家屋敷に向かった。幸い、バスで真由喜が起きたので、ずっと持つことにならなかった。それに、武家屋敷は楽しかった。大規模な居住だったが、殿様の専用トイレなどの面白いところもあって、やはり和風な建築はいいなとも思った。まだちょっと疲れていたが、行ってよかった。
会津若松に有名な白虎隊関連の飯盛山もあるし、鶴ヶ城もあるが、今回天気などのせいで見えなかった。(台風に襲われなかったが、雨が降ったり止んだりして、外の観光に向いていなかった。)だから、また会津若松に行きたいと思う。しかし、いつもそう思うが、まだ行ったことはないところは沢山あるので、また行くことになるかどうか分からない。とにかく、楽しかった。