水曜日に会津若松を9時過ぎに出発した。帰り道で一旦猪苗代で電車を降りて、もう一つのところで観光するつもりだった。台風6号が近づく中、天気は心配だったが、結局悪くなかったし、それに真由喜はご機嫌だったので、充分楽しめた。
そして、船が出港すれば、乗客は私たち三人だけだったのが分かった。さすが平日に、台風が近づく中、そして被災地で。だから、くつろぎながら風景を楽しんだ。湖の周りの山が見えたが、磐梯山の山頂はずっと雲に包まれた。桟橋に戻ったら、もう曇って行っていたので、タイミングはよかった。
乗り場の上にある建物は、明治時代に建てられた天鏡閣だ。それは、皇族の人の為に建てられた洋風の別荘だから、ゆり子が特に楽しめた。私には、日本の洋風の建築は特に楽しくない。なぜなら、特に明治時代に西欧を真似することに目一杯だったが、技術や想像はまだ慣れていなかったからか、建物がごく普通の洋館に見える場合は多いからだ。でも、ゆり子が楽しむし、庭で真由喜が蟻を見て楽しんだので、良かった。
それから、野口英世記念館に行った。野口博士が千円札に登場するのがもちろん分かったし、細菌の研究者だったことも知っていたが、それ以上何もなかった。だから、猪苗代で生まれたことさえ、今回の旅で分かった。記念館は、野口博士の生家を中心に作られたところだが、生家の前に誕生所石碑が立つので、移築されていないだろう。古民家の上に丈夫な屋根が覆うので、雪などから守る意志は明らかだ。そして、赤ちゃんのころ野口博士が転んで左手に大火傷を患った囲炉裏が見える。ゆり子が真由喜にその話をしたが、凄く印象的だったようだ。真由喜が何回もその瞬間の絵や囲炉裏自体を見て、私に「あそこに転んだの?大火傷をしたの?」と聞いた。家には囲炉裏はなくても、やはり身近なテーマだった。
記念館で終わったら、真由喜が「もう帰りたい」と言い始めたが、まだ電車に乗る前に時間が残ったので、ガラス館にある喫茶店でちょっと休憩した。真由喜がゴムシロップのパケージにストローのパケージで色を塗るふりしたが、私も一緒にするように促した。出る時間になったら、真由喜が素直に片付けに手伝って、タクシーに向かった。
猪苗代もいいところだったが、地元の人が皆紅葉の季節を讃えたので、秋にもう一度行くかなと思ってきた。
外国人の観光客を一人も見なかった。(私は、自分を見ることはできないし。)今の状況でそれは驚くほどではないが、ちょっと残念だ。猪苗代湖でも、原発から遠いし、奇麗なところだ。だが、風評と戦うのは難しい。私ができることには効果があればいいけれども。