これも大山街道に鎮座する神社だ。写真を社殿の前から撮ったので、社殿は見えないが、神社の特徴が見えるだろう。鳥居と道の間に駐車場のような広場があるが、鳥居までの参道はない。そして、神社の老樹の神木が広場に突き出るのに、玉垣は鳥居と並ぶ。実は、神木の隣に小さな石祠が二つ並ぶので、神社の境内がどこまで及ぶかは分からなかった。
社殿の規模は中ぐらいだが、簡素な作り方だ。社殿の隣に遊具があるので、ここも子供に遊べる広場になる。鐘はないが、遊具も神社の特徴になるだろう。ある本で「境内で遊ばないこと」と読んだことがあるが、それはやはり勘違いだ。神社によって違うと思うが、「境内でぜひ遊んでください」という神社も少なくない。神道的に考えたら、境内で遊んでも差し支えないと私が思うので、賛成する。
玉垣ですが、写真で見える部分は新しいものの、大正13年に奉納されたと言われる玉垣もある。石碑によると、平成21年に老朽のため氏子が玉垣を改築して、大正時代の物を移築して保存したそうだ。このことから、そして境内の状況から分かることは、この神社はまだ氏子によるよく支えられることだ。歩き回れば、小さな神社でもそうであるようだから、神社神道が如何に日本社会に根付いているかが分かる。