大山阿夫利神社下社は、事実上阿夫利神社の主な社だ。本社が山頂に鎮座するので、それと比べたら「下」だが、実は大山の中腹に鎮座する。社殿の前から、眺めは広くていいし、ケーブルカーで上がっても最後に長い石段を登らなければならない。(実は、天気のいい日にまたお参りしたいと思う。雲のせいで眺めがよく見えなかったからだ。)
社殿は大規模で、神職が勿論駐在する。私が参拝した日に授与所には数人がいたが、巫女は見えなかった。普通に巫女がお守りなどを授与するので、それはちょっと珍しい。偶然、巫女の休憩時間だっただろう。とにかく、御朱印がいただけた。
下社の社殿の周りに、特徴のところがある。一つは、拝殿の下に入れることだ。入ったら、すぐに神泉に至る。鳥居もあるし、竜の口から水が湧くし、山の清水で容器に入れて持ち帰ることもできるそうだ。神泉からさらに奥へ進めば、拝殿の裏を通る廊下に入るが、さざれ石や道祖神などが並ぶ。
廊下の途中で、蝋燭を供える段もあるが、周知の通り蝋燭を供えるのは、仏教の習慣で、神社では余り見ない。社殿の外にも同じような設備がある。それは、護摩木を炊き上げる為の釜だ。護摩で祈祷する慣習も、もともと仏教の習慣だそうだ。このことが大山阿夫利神社の修験道の歴史をよく表現すると思う。実は、足で山を登ったら、石仏などの仏教系のものも多い。弘法大師が爪で一夜の間に彫った石仏とか地蔵などが道の脇に立つし、途中でお寺もある。江戸時代には、このような混合はごく普通だったそうだが、明治維新以来珍しくなってきた。施設だけではなく、祭祀にも特色が残るかどうか分からないが、機会があれば見たいと思う。
社殿の隣に摂社と末社が鎮座する。摂社は浅間社で、大山阿夫利神社の御祭神の大山祇大神の娘神の木咲耶姫神を御祭神とするし、富士山信仰の神社だから、神様のご縁からも場所からも相応しいと言える。末社は、天満宮だが、特に関係はないと思える。案内板によると、大山阿夫利神社も亀戸天神も崇敬した講によって建立されたそうだ。だから、典型的な末社だと言えよう。本社との関係はほとんどないが、崇敬者の希望で建立されたからだ。
同じところに、天狗の石碑が聳える。天狗は、山と修験道との関係は深いことは周知の通りだから、大山にも住むという伝説があっても驚くほどではないだろう。
大山阿夫利神社下社でがっかりしなかったが、ご祈祷の本拠であるとしても、神社の半分も含まない。山頂の本社にも参拝したので、この神社の描写を二つに分ける。