月曜日は、平泉の世界遺産を見物する日だった。ホテルの位置から考えて、先ず毛越寺の浄土庭園を訪れた。入る前に真由喜がぐずったが、朝ご飯が足りなかったようで、ちょっと休憩しておやつを食べたらまた元気になった。もう通じに入ったら元気で遊んだりしたが、麗しい風景を楽しんだかどうか分からない。開山堂という開山した慈覚大師を祀る堂で、仏像に興味を惹かれて、長い間見つめたが、「優しい人だよね?」と聞いて、ゆり子に優しいと確認してもらった。そして、にわか前があって、常行堂で雨宿りしたら、真由喜が靴を脱いで、階段を登って、堂でちゃんとお参りした。確かに作法は神道式だったが、お寺でお参りすることは余りないので仏教式が分からない。紫色のお守りも強く求めたので、授かった。
私にとって、庭園の風景は素晴らしかった。震災直後、立石を木の棒で支えた写真を見たことがあるが、月曜日までに片付けられたので、立石がまた自立した。大泉ヶ池を回ると、風景が続々と変わるが、いつも落ち着いた癒す光景だった。雨が降ったら、雨の中の池も美しかったし、日差しで輝く水面も奇麗だった。ゆり子が真由喜に「真由喜の歓迎の表現だよ」と言ったが、本当にそう見られた。空も何回も変わってきたので、庭園の背景になって様々な顔を見せた。行く前にどうなるだろうと思ったが、実物を見たら、やはり世界遺産に相当すると思わざるを得なかった。
復元の絵もあるが、伽藍なしの庭園のほうが私好みになるだろう。
午後は中尊寺だったが、その前にお昼を中尊寺前のレストハウスで食べたが、珍しいことに良くなかった。中尊寺は、ご存知の通り、山の上にあるが、一番の見所は金色堂で、山頂ぐらいにある。普段なら、私は平気だが、その日真由喜が全然歩きたがらなくて、ずっと肩車や抱っこを求めたので、真由喜を持ちながら山登りした。しかし、山頂に辿ったら、眺めが優れる。写真はかんざん亭という設備から撮られたが、軽食もできるのでできれば登ってから食べた方がいいだろう。食堂の窓は広いので、食べながら眺めを楽しむことができる。
金色堂は素晴らしいが、やはり博物館に展示されたもののようになった。グラス越で見ても、印象的だったが、この世を軽視する仏教で黄金のお寺があるのに、この世を重視する神道にはないことを不思議に思う。900年近い前からの建物で、残存したことにも感動するが、金閣寺でも思ったことは、金箔に覆われたお寺にはちょっと違和感がある。それほど奇麗ではないと思う。朱塗りの建物は麗しいと感じるので、質素を好むことではないが、黄金は何とか妙な感じだ。
そして、山頂に鎮座する白山神社にお参りした。境内には国重要文化財に指定された能楽殿もあるが、『神社新報』によると最近特別奉納雅楽の舞台になったそうだ。確かにこの環境で雅楽を聞くのは格別だろう。神社には神職がいたので、御朱印をいただいた。その間、真由喜が自分を清めた。まだ手水舎の作法をちゃんとしないが、単なる遊びもしない。自分の独自の作法に従って、清める。確かにこの神社でちょっと長引いて遊び感覚になったようだが、岩は珍しかった。
真由喜がもう「帰ろう!帰ろう!」と言っていたが、ゆり子が博物館に寄りたかった。最初に反対したが、結局入ったら良かった。特に、千手観音の仏像があって、真由喜にはとても気に入ったようだ。「手は多いね!」と言って、観音の前から動こうとしなかった。私がちょっと離れたところまで連れて行ったら、「また見よう!」と言って、戻った。最後に仏像の絵葉書を買ってあげて帰ることができた。下り坂で真由喜が寝てしまったので、また運ぶことになった。
ホテルに帰る前に漆器の老舗の翁知屋に寄り道した。真由喜がぐっすり寝ていたので、お店の中のベンチに置いて、漆を見た。伝統的な漆器もあったが、モダーン風の作品もあった。ゆり子は当然モダーンの法に傾いたが、私には両方がいい。とりあえず伝統的な汁碗と箸置きを買ったので、食卓から百円ショップの商品がどんどん無くなる。ところで、現代風の作品も気に入ったので、予算ができたらそれも買おうかと思う。お金にも置く場所にも制限があるけれども。
とてもいい観光だったので、平泉を強く勧める。東京から、距離が京都とあまり変わらないが、東北の雰囲気もいい。