先日機会均等について書いたが、能力主義だけではなく、他の出世の道を設けるべきだと述べた。今日、一つの道についてより詳しく考えたいと思う。それは、継続出世と言おう。
その意味は、単純に普通の仕事を継続することだけで出世することだ。能力や実力は問われない。もちろん、職業に耐えられなかったら継続できないが、コンビニの店員や掃除などの所謂技術なしの仕事であれば、殆どの人が耐えられるだろう。それに、複数の道を設ける目標は、誰にも一本の向いている道があることだから、この道にも向いていない人がいても、緊急な問題ではない。数少ないと思うし。
ここで、「出世」の意味を考える必要がある。出世で権力や責任が増すということは多いが、能力がない人であれば、それは社会的に危険だし、部下には不公平だ。能力のない人を能力がある人のために犠牲しない反面に、能力のある人も能力がない人のために犠牲しない。だから、権力と責任を与えるわけにはいかない。それを能力に応じるしかない。
残っているのは、お金と暇と尊敬だ。この三つは与えられる。
尊敬は、長く継続したら何かの肩書きや表彰を与えることにすればいいだろう。肩書きが一般社会でも効くようにしたら、より意味がある。例えば、レストランや電車での優遇があるとか。
お金と暇は、毎年給与を上げて、出勤時間を下げることでできる。民間会社が勝手にこうすれば、競争力が弱まると思われるので、法律で定める必要があるだろう。毎年インフレと経済成長によって最低の引き上げを閣議決定したらいいと思う。能力のある人の引き上げがそれを上回るが、継続する人がその利益を受ける。もちろん、最低賃金を引き上げる必要もあるが、原則としてその上昇率が継続の仕事の上昇率を下回ることにしないと、継続には何も利益はない。出勤時間も、定まった率で毎年下げる。
こうすれば、会社が解雇したくなる可能性は極めて高い。技術のない人が数年働き続ければ、人件費が高くなるので、新しい技術のない人を入れ替えたらコスト削減になる。それを防ぐ為に、解雇するときの条件を厳しくするべきだ。この前に述べた雇用条件についての記事で、これに役に立つ提案があったので、ここで詳しくしない。一方、会社の経営が厳しくなったら、株主や社員には一律の給与カットを認める必要がある。それは経営陣にも適応するのは必要不可欠だ。
このような政策を導入すれば、五十年前の日本とちょっと似ている点もあるが、現在の社会構成と大きく変わると思う。だから、導入する方法も考えなければならない。革命はだめだから。