赤坂氷川神社

鎮守の杜の入り口になる鳥居氷川神社は、関東に散在する神社の流れで、御祭神としてスサノオ尊を中心に出雲系の神様を祀る神社だ。東京に複数あるが、東京十社巡りに加わるのは、赤坂氷川神社{あかさかひかわじんじゃ}だ。だから、10月10日にお参りした。

御祭神は素盞鳴尊{すさのおのみこと}、妻神の奇稲田姫命{くしいなだひめのみこと}、そして子孫の大己貴命{おおなむちのみこと}だ。大己貴命は、大国主神{おおくにぬしのかみ}の別名だが、スサノオの何代の子孫であるかは、古事記と日本書紀で多説ある。この氷川神社は、951年に創立されたそうだが、1730年に将軍の徳川吉宗{とくがわよしむね}に現在の鎮座地に遷座されたし、現在の社殿も建てられた。天災や戦災を免れ、今も古い社殿が見えるのは、都心では思うほど珍しくない。原因は境内だろう。社殿に他の建物が接触しないので、火が簡単に移れないだろう。それでも、焼失された建物は多いので、現存する例は貴重だ。

氷川神社の境内が木々で鬱蒼して、その中に境内社も鎮座する。それに、児童公演も境内の片隅にあった。初めてこのようなことを見たら、特徴だと思ったが、よくある要素であることがわかってきた。氷川神社のような境内の環境で子供を遊ばせるのは大変望ましいと思うので、嬉しく見た。自然環境を活かして、絵馬は小さの薮の周りに掛けられたので、神道らしかった。そして、境内社の中に稲荷社があるが、それは明治時代の神社の大合併で周辺の四つの稲荷神社が合祀され、ここに遷座された神社だそうだ。神社の名称は四合{しあわせ}稲荷社だが、駄洒落と言えば駄洒落なのに、なんかいい印象なのではないか。

奥の鳥居越に木々に囲まれる社殿が見える
赤坂氷川神社の社殿
実は、この神社の雰囲気が大変気に入った。巡拝の前にお参りしたことはなかったので、初めての出会いだった。御朱印をいただいたときの社務所にいた女性の神職の態度もよく感じた。接しやすい神社の印象だったかな。御朱印と言えば、二つの印があって、一つは「氷川神社」で、もう一つは「東京赤坂鎮座」という。それに、十社巡りの一社であることを述べる印もある。日枝神社を除いて、十社の全てがこの印を押した。氷川神社は多いので、他の印はなかったら、どちらの氷川神社だったかは忘れるだろう。(この場合、専用の御朱印帳だったし、御朱印のページに向かって神社の由緒の紹介もあるので、少なくともこれでそのような恐れは全くない。)

残念ながら、一日で十社を巡る計画で氷川神社で十五分ぐらいしか費やせなかったので、少なくとももう一度参拝したいと思う。家からちょっと遠いが、オフィスから近い方だから、余裕がある日ができたらまたお参りするだろう。オフィスがこの神社の氏子区域に入らないことを残念に思うけれども。

そういえば、神社のホームページには特徴がある。それは、氏子区域を明確にすることだ。まだ氏子に支えられる証拠かと思うが、オフィスが外れることも明らかだ。道を渡ったら入るけれども。それに、神社の距離は遠くないが、仕事は忙しくてまだ参拝する余裕はなかった。ちょっと落ち着いたらできるかな。


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