巳年御縁年大祭

金華山黄金山神社で12年に一度「巳年御縁年大祭」が執り行われるそうだし、今年は巳年だから、今年は大祭になった。特別な祭祀は多いが、普通の日に参拝しても、幟以外の特殊もある。

木々の隙間から拝殿が見えるし、右に辛うじて本殿も見える神社で参籠すれば、早朝に執り行われる一番祈祷という祭祀に参列できる。というより、参列しなければならない。部屋毎に貼ってある規則に書いてある。参列するために、6時に起床して、祈祷殿というところへ行く。そこで、白い服が羽織られてから、神職や巫女に続いて屋根のある階段を拝殿まで登る。この祭祀は、拝殿で執り行われる。

拝殿の奥にある彫刻が施される扉
最初に開けられる扉。本殿への階段はその向こうにある。
拝殿には畳はあるが、椅子はないので、正座して祭事に臨む。私は、ほぼ毎日正座の練習をするが、それは数分だ。祭事が難しくなった。最初に、拝殿の奥にある扉は開けられる。そして、雅楽と警蹕が響く中、宮司が本殿の御扉を開けた。これは、大祭の特徴であるそうだ。一般に年には、本殿の扉を毎朝開けることはないという。

それから、神饌は備えられるし、祝詞も奏上される。祝詞で参列者や他の崇敬者の名前が読み上げられる。一回から推測すれば、まず参列者の名前を読み上げて、そして他の崇敬者の名前を読み上げる。その後で、弥栄の舞が巫女に舞われる。最後に玉串を奉奠する。

このような厳かで神秘的な祭事には時間がかかるのは明らかだろう。だから、私の足がかなりしびれた。最後まで正座で耐えられたが、玉串奉奠の為に立つことはちょっと難しかった。その前に足の指を動かしたり足の筋肉を動かしたりしたので、ちょっと頑張ったら立ち上がれて、玉串を奉奠できた。玉串を奉奠するために、本殿に近づくので、本殿の中に覗いてみられた。

朝ご飯の後で、また祈祷殿に戻って、地域復興祈願祭を執り行ってもらった。祈祷殿は、拝殿のしたにあるが、金華山黄金山神社の独特な形で御祈祷を執り行う。それは、護摩祈祷という。祈祷殿の前に、供え物がある階段の下の脇には、護摩という木造の板を燃やす。祝詞奏上の間に日が燃え上がる。これは明らかに神仏混淆の時代からの習慣だ。神社は、江戸時代には修験道の道場だったそうだから、このような名残があるのは当然だろう。

石段の真ん中に鹿がたって、見つめる。祭祀が終わっても、まだ島で数時間があったので、山頂にある奥ノ院まで参拝しようとしたが、天気は不安定で霧がまた濃くなったり消えたりしたので、途中で止めて、下山した。本格的な事故になる可能性はあまりないだろうが、不便になったり、周りの人に迷惑をかけたり可能性はあった。

5円玉や50円玉が縄に結ばれたそれを止めたら、ちょっと境内を歩く機会があった。神職と話したら、神社で鈴の縄に小銭を結ぶ習慣があるそうだ。これ「御縁結ぶ」の駄洒落からきた習慣だそうだが、金華山黄金山神社の主祭神は金山彦と金山姫で、金運と深い関係がある。だから、お金で縁を結ぶのは適切だ。とにかく、島を出る前に結ぶことにしたので、本殿に上ろうとした。しかし、石段の真ん中に鹿が立って、警備した。焦らずに近づけば、鹿が参道を譲ってくれたので、本殿に上がって縁を結ぶことができた。

神社で、昔からの言い伝えがある。それは、三年連続お参りしたら、一生お金に困らないということだ。言い伝えは信じられるかどうかを別として、私はこの神社にまた御参りしたいと思う。


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