この本は、伊勢神宮崇敬会叢書17で、崇敬会の会員であることでもらった。元禄時代から明治時代までの天照大神の図を紹介して、その描き方の変遷を説明する書物だ。
興味深い点は多いが、一番目立つのはこれだ。多くの場合、天照大神は男神として描かれた。髭を生えた男神もあるが、中世から近世まで特に流行ったのは、雨宝童子という姿だったそうだ。雨宝童子とうのは、仏教からの神で、宝珠と棒を持つ青少年だ。天照大神は女神であることは、古事記や日本書紀では明記されているので、女神説はいつも根強かったそうだが、男神説も弱くなかったようだ。そして、女神説を推進する人でも、雨宝童子の姿に基づいた女神像を描いたことは多い。宝珠はそのままで、棒の代わりに剣を描いたことがある。
これで、問題が発生する。天照大神は、女神であるか、男神であるか、という問題だ。確かに起記神話では女神だ。そして、現代の神宮の神職も女神だと強調する。しかし、神道では起記神話は聖書のように真実の鍵になる資格はない。風土記などの思料も重要だし、起記神話以降の実践も神道の現代の基盤になる。神仏習合もそうだ。起記神話にはないし、現代の神社本庁は否定的な態度を取るが、神道の本来の姿は神仏習合であると唱える人は今もいるし、すぐに退ける説ではない。だから、天照大神は男神である説も、すぐに退けない。
では、正解があるだろう。正解の基準は何だろう。天照大神が神話に似ている形で存在すると信じる人も、人間であると思わないので、その場合でも女性か男性かはどうやって決まるかは不明。染色体の種類はないだろうし、卵子を作ることもないかもしれない。普段は、神は見えない存在だと言われるので、外見はそもそもないので、「外見は女性らしい」とは言えない。神様の存在はそのようなことではないと思ったら、問題がさらに難しくなる。信者の信仰が性別を決めるとしたら、歴史的に天照大神は男神でも女神でもいると言うしかないだろう。観音菩薩の性別は曖昧であれば、天照大神の性別も曖昧になってもかまわないだろう。
今の神宮の崇敬者に聞いたら、「女神」という答えは圧倒的に多いと思わざるを得ない。「男神」と言う人は一人もいない可能性もある。私もそうだ。天照大神を女神として思う。しかし、それは数十年前にTRPGの本で初めて天照大神と出会った時から女神として描かれてきたからだ。(ところで、D&Dの『Deities & Demigods』だった。天照大神は、全て25の神の一柱だった。)私の常識は、女神である。ただ、最初から男神の説に包まれた人がいれば、当然男神だと言う。この質問には、正解はないと言えよう。