和布刈神社

関門橋を背景とした鳥居和布刈神社{めかりじんじゃ}は、九州の最北端に鎮座する神社だ。関門海峡に臨んで、早く流れる海峡の潮を見下ろすし、江戸時代まで「速戸神社{はやとじんじゃ}」と呼ばれたそうだ。それは「隼人神社」とも書かれたそうだが、隼人はご存知の通り昔九州に住んだ民族だ。境内の案内板によると、ご祭神は比賣大神{ひめのおおかみ}日子穂々手見命{ひこほほでみのみこと}鸕鷀草葺不合尊{うがやふきあえずのみこと}豊玉日賣命{とよたまひめのみこと}安曇磯良神{あずみいそらのかみ}の五柱だそうだ。日子穂々手見命は、山幸彦のことで、比賣大神は龍神の娘であると思える。そして、豊玉日賣命は、比賣大神の妹でまた龍神の娘であるが、比賣大神と日子穂々手見命の息子である鸕鷀草葺不合尊と結婚して、神武天皇の母親になった。だから、この四柱は、海の龍神と深い関係を持つ神様であるし、皇室の先祖でもある。注目すべきことは、案内板で龍神の娘が先に書いてあることだ。この神社で、海の龍神とのつながりは、皇室との繋がりより重視されているようだ。

海に降りる階段安曇磯良神は、神功皇后の神話で登場するようだが、この神社の重要な神事を始めた伝承があるという。この神事は、和布刈神事といわれ、神社の現在の呼称の由来である。

旧暦の元旦の夜中にに三人の神職が海に降りる。一人が大松明を持って周辺を照らすし、残りの二人がそれぞれ桶と鎌を持って和布{わかめ}を海底から採る。この和布を神前に供える。昔は、朝廷にも奉献したそうだが、その最古の記録は710年であるという。つまり、この神事の歴史が奈良時代以前に遡る。

神話によると、この神事の時に限って海面が穏やかになるそうだ。昔は、竜女が海から出て、神前で舞をしたので、竜神も竜宮から出て、神社にお参りして、波を穏やかにしたという。海と竜神と関係は深い神社であるのは明らかだ。

今日、関門橋の下に鎮座するが、私にとって背景は良いと思う。関門海峡を渡る歩行トンネルの入り口の隣でもあるので、今でも九州から本州への渡航の守護神になっていると言えよう。境内はちょっと狭いが、雰囲気は良い。さびた建物も複数あったし、神職の生計は厳しいのではないかという印象だったが、その代わりに商売の印象は全くなかった。これは前にも触れた問題だ。信仰に支えられた神社が参拝者に賑わうべきだから、不特定多数の人に対応するための施設は必要不可欠だが、そのような設備があれば商業施設に似ているとほぼ決まっている。このようないい雰囲気を保存するために社家を苦しませるわけにはいかないので、解決策を考えるべきだ。今でも提案はないけれど。

個人的に、歴史が長くて伝統は強いこじんまりな神社は好きなので、この神社は好きだった。


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