遊動生活

前にも述べたが、国家の役割は国民の実質的な自由をなるべく増やすことであるのは私の立場だ。ここで、その一例を取り上げたい。

「遊動生活」というのは、安定した住所を持たずに国の所々を転々する生活を指す。一つの自治体で三ヶ月以下滞在することを仮基準として使えよう。遊動生活の一種は、三つか四つの場所を輪番に回ることだ。例えば、夏に札幌に住むが、冬になったら那覇に移動する生活は、遊動生活の簡潔な形である。春は京都、夏は仙台、秋は東京、冬は鹿児島でも、遊動生活だ。そして、計画なしに、所々で一泊しかせずに国を転々回ることも遊動生活だ。歴史を見れば、宗教の教祖がそのような生活を行った例は少なくない。

ただし、現在の日本では行いづらい生活だ。まずは、戸籍には本籍は必要だ。そして、住民票もある自治体のところで作成しなければならない。住所はないと、就職するのは大変だし、銀行口座も難しい。インターネットの利用も無理に近い。つまり、社会に参加できない。だから、現行の制度で、国民の自由の一部が奪われる。現在、遊動生活を禁じるために制度があるわけではない。歴史的にそう言うつもりで本籍などを導入したかもしれないが、現在はただ制度の副作用に過ぎない。その場合、制度を改善すべきである。自由を制限するのは、必要性を慎重に考えた上で許されるが、制度の副作用として発生する制限は許されない。

遊動生活を固定住居生活と同じぐらいな選択肢にするために、いくつかの改善は必要だから、ブログでその中の数点は取り上げたいと思う。ただし、今日で全てカバーできないと思う。まずは、行政で基本になる登録の制動を取り上げる。

市区町村で登録する住民票は遊動生活には基本的に向いていない。ただし、マンションなどに住み着いている人にとっては相応しいので、廃止する必要はない。平行する遊動する人のための制度を導入すれば良い。遊動生活は、全国を旅することになるので国の管轄にならなくてはいけない。本当なら、国際組織が管轄するが、国境を越えて遊動生活を行うのは、現在の世界では無理に近いと言えよう。とりあえず、一つの国の中で可能にするための政策を考えよう。

登録の基本の形で、住所は入っては行けない。遊動生活を行う人には住所はないからだ。だから、名前と遊動であることのみで済まなければならない。戸籍も住民票も同じだ。住民票は様々な手続きに使われているので、発行すべきだが、住所なしになる。この登録は国の管轄だが、各地の役所で届け出きるようにするべきだ。住み着いた人よりめんどくさい手続きを課すわけにはいかないからだ。

登録と関わるのは地方税だ。遊動で免税になりたい人もいるかもしれないが、それは許せない。特定な場所に住み着かないとしても、今にいる地域の行政サービスを使うので、そのための税金を納めるべきだ。だから、国に全国の平均的な地方税を納めて、それは国から地方に割り振れたら良い。その割り振りは、遊動する人の居場所と関係する場合は、ある地方に明らかに集中する場合に限った方が良い。遊動する人にはこまめに居場所を行政に知らせる義務も課すべきではない。毎週転出・転入届を提出するのはかなりな負担だ。でも、そのような情報はなければ、正確に割り振れることはできない。もちろん、この制度で地方税の高い自治体に住む人は、書面上の遊動生活にする恐れがあるので、一ヶ所での居住が3ヶ月を超えたら、住み着いた制度に自然に切り替えるような制度は必要だ。

もちろん、このような制度は、現行の制度より行政の手間がかかる。しかし、国民の自由を行政の便宜のために抑制するべきではない。国家や行政は国民のために存在する。国民は行政や国家のために存在するのではない。

このテーマに着いて、明日もちょっと書きたいと思うので、つづく。


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