京浜伏見稲荷神社は、武蔵小杉駅に近く鎮座する。案内板によると、戦後鎮座されたそうだ。京都の伏見稲荷大社を勧請して、東京と横浜の間に建立して、地域の復興を祈ったそうだ。
普通の神社と雰囲気が大きく異なる。先ず、戦後の鎮座だからかもしれないが、境内は建物の間に入れ込まれ、所狭しの気持ちだ。そして、社殿の規模は大きくて、建築も珍しい。神社の社殿の殆どは一階建てで、シンプルな装飾が施されるが、この神社の社殿は二階建てか三階建てで、屋根の形もややこしい。
そして、社殿の中には大きな宝珠が安置されるし、神鏡も日本最大であるといわれる。神鏡は高さ4.5メートルだそだが、社殿の外から見れば、信じられる。
稲荷神社だから、境内には狐像があるのは当然だ、大変多い。社殿の前の左右には108体の石像狐があるそうだ。数えなかったが、108体があっても不思議ではない。ネットで8年前の参拝の記録を見つけたが、その時点で狐は石のままだったようだ。ペンキ塗りは最近のことで、目立つようになった。石の中の洞窟にくつろぐ狐も、石の上を飛び上がる狐も、境外から除いて見える狐もある。
狐が集まる池は、滋賀県の琵琶湖を真似しているそうだが、小さな島は弁財天の神社になっているようだ。摂末社と言えば、複数ある。白狐社は、稲荷大神の眷属の狐を祀る神社だから、京都の伏見稲荷大社にもある。それに、稲荷神社の摂社として、稲荷神社もある。文殊稲荷と祇園玉光稲荷と呼ばれる。これで神道の特徴が見える。稲荷は同一の神様だと思えば、本社は稲荷神社であれば、摂社には稲荷神社を設けるのは無意味だろう。しかし、稲荷信仰の系譜によって、神様の神徳が異なってくるようだ。本社の伏見稲荷は、商売繁盛などのご神徳で、文殊稲荷は学業で、祇園玉光稲荷は芸能だそうだ。
他の末社として、浅間神社と白山社があるが、形は珍しい。写真で見えるように、山の模型がある。案内板から推測すると、この模型に使われる石は、富士山から運ばれただろう。
この神社は、もしかして神社本庁に属していないかと思う。理由は複数ある。先ずは、雰囲気は普通の神社と大きく異なることだ。神社には自由があるが、神社本庁が影響を与えるので、これほど異なると批判されるだろう。そして、終戦直後に鎮座された。これは、明治時代から続いてきた政府の神道の管理が解かれた瞬間だし、神社本庁が既存の神社の維持に精一杯だった時期でもある。そして、伏見稲荷大社は神社本庁に属していなかった有数の神社だ。その上、案内板で「江戸時代の造り」を強調する。これを考えれば、戦前の国家神道から解放された人が建立したのではないかと思える。
直接の証拠はないので、推測に過ぎないけれども。
正直に言えば、この神社は私好みではない。境内は狭すぎて、所狭しの雰囲気は落ち着いていない。しかし、神職が頑張っているのは明らかだし、私の好みは神社の基準であるわけはない。だから、この神社を評価したい。現代社会との積極的な取り組みだから、他の神社にも同じような動きが見えたら良いと思う。神社に興味を持てば、一回のご参拝をお勧めする。