このブログの8周年祝いの投稿で、これからより整った内容にすると述べた。しかし、ブログは現在、その節目の前の状況とは変わらない。
予定には変わりはない。それに、準備も始めた。しかし、準備には時間は必要だ。より整った内容と挑戦する理由の一つは、もう簡単にできる日本語の執筆より難しい執筆と取り組み、日本語能力を向上させることだったが、やはりまだ簡単にできないことを実現するために、時間も努力も必要だ。
実践的に始めたのは、自由主義についての投稿のシリーズの準備だ。構成を考えて、内容の配置を考えている。新書のような内容を目指しているが、新書を確認すれば、一つの部は1000字程度なので、今までの投稿とほぼ同じ長さだ。それでどれぐらい納められるかは分かるので、その感覚に基づいて構成を構築している。重要なところが入るように、そして投稿の全体的な流れが良くなるように考えなければならないが、やはり難しい。何の本でも同じ問題がある。一つのテーマの内容の相互関係は複雑で重層的であるので、一線に整えるのは大変な作業だ。英語で著した本でも、同じ努力があったので、ある意味で慣れているが、日本語で実現することは予想以上難しい。
そして、フィクションのことだが、何のテーマは適切であるかについて、まだ考えている。表現力はまだ乏しいので、簡潔な話は良いと思うが、読者をつまらなくさせるわけにはいかない。(少なくとも、意図的にそうするのはだめだ。結果的にそうなる恐れを潔く認める。)もちろん、短編小説から始まるつもりなので、小規模な話で括られる話は必要だ。その発想は必ずしも簡単ではない。
一番早くできるのは短歌だろう。31字に過ぎない。(漢字を使えば、下回る。)しかし、歌もすぐに詠める存在ではない。その上、和歌の形式は5−7−5−7−7だけではない。歌の意味的な構成なども重要だから、短歌の詠み方についての本を読みながら詠じるつもりだ。その読書の時間はまだ確保できていない。
祝詞の予定はさらに遠い。古文を勉強して、祝詞作文の本を復習して、そして書き始められるようになる。そうすると、ブログで宣命体の表示する方法を工夫しなければならないし、万葉かなを使えば、一々ルビをつけなければならない。方法が分かるが、手間がかかる。
できれば、今月末までに自由主義についての投稿は始めたいと思うが、正直に言えばそれはちょっと楽観的な計画だ。実現できるまで毎日の更新を保たなければならないので、その穴埋めに前と同じような雑筆で申し訳ない。