神社と”村”

昨日、ゆり子と真由喜が近所の神社の祭りに遊びに行った。私は働いていたので、一緒に参拝できなかったが、真由喜の幼稚園からの友達が一緒にいった。話を聞けば、厳密に言えば祭りではなかっただろうと思った。奉納芝居や屋台、演芸などがあったが、御神輿の宮入は今日だし、神事の話はなかったので、祭り自体は今日執り行われるかと思う。昨日は、宵宮のようなお祭りだったろう。

正式な資格はともかく、その神社の周辺から沢山の人が境内に集まって、大変賑わったイベントだった。ゆり子の感想は興味深かった。

「昭和」という感じって。そのような日本の戦後の習慣は、村で残るとはいえ、都会ではもうなくなっていたと思ったそうだ。一人暮らしの都市生活では、そのようなことに触れたことはなかったと言って、近所の子供会が存在して、祭りで出し物をすることにびっくりしたようだ。「神社は、村の中心であるよね」と言った。

これは、『神社新報』でよく読む嘆きと合う。神社は共同体の中心的な存在であることをよく強調するが、その役割は過疎化や都会生活の影響で薄れて、なくなりつつあるとよく嘆く。しかし、近所の祭りに参加する人が、自発的にそのように評価すれば、神社はまだ生きていると言えよう。

この菅生神社は、常駐する神職はいない。だから、祭りなどは氏子に開催されている。(宮司は、神事のために訪れるはずだ。)だから、神職はいなくても、地元の人の活力で神社が重要な役割を担える。そして、子供の頃このような祭りに参加した人は、伝統の継承に貢献する可能性は高いと思う。神道政治連盟の意見を知らなくても、神社について暖かい思出を持って生きて行くので、将来に子供を産めば、初宮参りなどを行って、家族で祭りに参列する可能性は高いと思える。このような活動は神社の将来を確保するために、重要で推進するべきだと思う。

ところで、ゆり子は「村のイメージ」だと言ったが、この周辺は、まだまだ村の素質が残ると思う。田圃や畑はまだあるし、戦前の田舎だった時代から住み着いてきた家族はまだ多い。このような人が都会化の前からの伝統を受け継いだのだろう。今、新しく転居してきた人が祭りに参加すれば、そして祭りの実行委員会などに参加すれば、これからの祭りの維持も安定になる。流動性は高い現在の人口でも、川崎市からまた流出しても、新しい居住地にも祭りを探して、家族の楽しみと共同体の絆を重視することは期待できるのではないか。神社の教化活動は、このような祭りから始まって、このような祭りに基づくと思う。


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