遅延で抑制

自由を重視する法制では、悪影響を与える選択肢が問題になる。自由を守るために、他人への強い悪影響を与える行為は禁じることはできるが、曖昧なケースは多い。その場合、悪影響は主に行為を取る本人に及ぶが、周りの人には間接的な影響がある。典型的な例は、お酒だろう。タバコや麻薬も同じような例である。(合法の麻薬のお酒とタバコと違法の麻薬を区別する根拠は非常に弱いので、一緒に考えたほうが相応しい。)

具体例としてお酒を考えよう。お酒を飲んで楽しむ人は多い。楽しむのは良いことだから、これはお酒を許す理由になる。一方、お酒を飲み過ぎたら、健康を損なう。これは大きな被害だが、本人への被害だから、原則として、許すべきだ。大人は自分に傷つけたかったら、止めさせる訳にはいかない。自由は、自分に被害を齎すを含むからだ。その上、飲酒運転で他人を殺すことはあるので、飲酒運転を禁じるのは適切だ。

ただし、問題が残る。人が思わずお酒で自分の健康を損なうこともあるし、お酒を飲んでから運転して帰ろうとすることもある。出かけた時点で、お酒を飲むつもりはなかったが、ついそうなったし、もう帰らなきゃし、そしてちょっと酔っぱらったので、飲酒運転の心配はないと思い込んでしまう
場合はそれほど珍しくない。だから居酒屋の経営者や一緒に飲みに行く友達にも刑事責任を科す。それでも、健康の損害の問題が残る。

この問題を一般化すれば、下記の通りだろう。

大人には、意図的に選んだ損害を許すべきだ。ある人は、お酒を楽しむために自分の健康を犠牲としたかったら、それは本人の権利である。一方、社会は大人でもできる限り守るべきだ。だから消防士が存在するし、救急車もあるし、予防接種もある。この二つの目的が矛盾を抱えるようだ。意図的な選択肢を自由にすれば、思わずの選択肢も自由にするからだ。この矛盾は事実であると思うが、理想にちょっと近づけるだろう。

その方法は、遅延である。お酒は、即座に買えないような法律を設けることだ。つまり、お酒を買うために、24時間前に予約しなければならない。その予約は、誰が買うかを定めるし、代金を事前に払うので、具体的に何を買うことも決まる。つまり、翌日の飲み会を計画すれば、事前に飲み物を注文する。当日になったら、予定以上飲めない。沢山飲みたい人は、沢山飲める。しかし、酔っ払ってきてさらに飲みたくなる人は、もう予約したお酒は終わったので、飲めない。がっかりするだろうが、健康には良い。

この予約したお酒は、他人に転売することはできない法律は必要だ。そして、遅延なしにお酒を売ることは、厳しく刑罰すべきだ。例えば、販売した人には、懲役2年以上とお酒の商売の終身禁止。販売した法人には、お酒販売の許可の剥奪と多額の罰金は良い。つまり、経営の立場から、遅延を無視するのは明らかに良くない状態を設定する。

もちろん、抜け道が残る。例えば、ある人が友達を飲ませるためにお酒を沢山予約することは可能である。しかし、費用がこのような行為の自然な制限になる。

このような制度は、自由にちょっと制限を課すのは否めない。しかし、この制限は、近所の本屋さんにはすべての出版された本は在庫していない制限と変わらない。何の本でも、取り寄せてもらったら、買って読めるので、言論の自由の制限として考えられない。同じように、取り寄せてもらえば、飲みたいほど飲んでも良いので、この制度もお酒の自由を重大に制限するとは到底言えない。それでも、思わずの被害を軽減するのは期待できると私は思う。


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