国会議員の定数と報酬

今回の選挙で、維新の党が国会議員の定数と報酬の3割カットを広く強調している。国民はこのような改革にすぐに賛同すると思うようだが、私は賛成できない。報酬と定数についての理由は異なるので、別々で説明したいと思う。

まず、報酬である。世界基準を見れば、確かに日本の議員の報酬は高いほうである。しかし、高い報酬は妥当だと思う。国会議員は重要な任務だから、それに相当する報酬を提供するのはふさわしいのではないか。そして、国会議員の任命は、有権者が決まることである。大手企業の役員の報酬が国会議員の報酬より高いが、国民が選ぶわけはない。確かに国会議員の報酬は国民の税金で賄われるが、それは国民が選ぶ理由にもなる。国民が選択して、そして解雇できることは、重要である。

それに、民主主義に重要な貢献もある。本格的な民主主義のために、誰でも国会議員になれる状況は必要である。国会議員の報酬がすべての費用と将来のための貯金を賄わないと、富裕層の人しか国会議員になれない。それは大きな問題である。さらに、国会議員の報酬が足りなかったら、賄賂の誘惑に弱くなる。確かに誘惑に耐えて正義の通りにするべきであるが、制度は聖のために作られていない。普通の人間が国会議員になるので、お金が足りなかったら誘惑が力を帯びる。割高な報酬がこの問題を軽減する。

現在の国会議員の報酬は年収で1億円であったら高過ぎであるというまでもないが、そうではない。2000万円程度であるそうだ。確かに高いが、不合理ではないと思う。

では、定数はどうか。私は、どちらかというと、増やしたほうが良いと思う。特に選挙区から選ばれた議員の定数を増やしたら良いと思う。現在、衆議院議員の小選挙区から295人が選ばれる。議員の一人には国民は40万人程度いる。議員は、選挙区の住民の代表者として国政と関わるべきだが、40万人であれば、一人一人と接して、悩みや要望を把握できるわけはない。確かに、定数を10倍にしても、まだ4万人がいるので、現実的な変化で解決できない。そのような状況で、少なくとも悪化させないほうが良いと私は思う。

もう一つの役割は、党の幹部に対立できる議員の存在を保障することだ。国会議員は少なければ、党の幹部が自分の意見に完全に従う人しか選ばないことはできる。一方、議員は多ければ、意見が一致しない人も認めなければならない。これで、党の幹部の独裁的な方針に歯止めをかける。議員は少なければ、権力が集中するが、多くなればなるほど、権力が散らされる。集中された権力は危ういので、議員の定数を適度にして、この危険を避けたほうが良いと思う。

そして、人材の問題がある。閣僚に適切な人材を確保すると、まず与党に限られている。(原則として。)4割は候補から離れる。それに、新人は閣僚になれるはずはない。経験は必須。国務大臣に当たる経験を得るために、4回当選は必要だろう。10回まで議員になると言えれば、議員の4割は資格を持っていない。これで、定数の3分の1程度は閣僚に最低限の資格を持つと言える。閣僚になりたくない政治家もいるし、15人程度を確保しなければならない。総理大臣には選択肢があるように、議員数を限らないほうが良い。

衆議院は今の500人程度で良いのではないかと私は思う。1000人になったら、国会での審議が難しくなるし、活躍できない議員も現れると思えるが、500人程度でみんなの活動の場があるし、全体会でも一応進められるのではないか。だから、私は、この点で改革しないほうが良いと思わざるを得ない。


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