憲法第89条

日本国憲法の第89条は下記の通り。

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

これはかなり厳しい書き方である。厳密に解釈すれば、お寺は国宝であっても、公金でから修理などの助成金は出せない。私が聞いたことから考えれば、そういうふうに解釈されていないようだが、その根拠は不明だ。憲法の法律書を勉強しない限り分からないはずだ。

そして、後半も厳しい。ここで、「支配」の解釈は重要だが、例えば私立幼稚園に通う園児に対して助成金を支給することは禁じられているようだ。私立の幼稚園は教育の施設だが、公に支配に属しない。(公立ではないからだ。)しかし、川崎市はその助成金を出している。だから、第89条の後半も、緩やかに解釈されているのは事実なのではないか。

実は、もう一つの可能性がある。裁判所は自発的に行政の動きの合憲性を調べない。誰かが行政を相手取り訴訟を起こしてから、調べる。だから、神社を市有地に立てさせてはいけないことは決まっているが、私立幼稚園に対して助成金を出せるかどうか、調べていないかもしれない。なぜなら、それを禁じてもらうために動く民間団体の評判が極めて悪くなるからだろう。「園児から教育を奪うか?」と質されるだろう。(ちょっと考えれば、その支給は幼稚園経由だったが、親は対象だったし、用途には制限はなかった。だから、法律上、教育の助成金ではないかもしれない。学費に使わせたら、それこそは憲法違反なのではないだろうか。)

この掟の動機も明らかである。国家神道の解体を狙ったに違いない。神社などは宗教上の組織であるので、前半はその支援を全面禁止する。後半は、神社の活動が別な名目で続く場合に備えられたのではないか。

正直に言えば、この掟を廃止したほうが良いと思っている。理由は、後半から始まる。

教育の全ては、国家や公の支配に属するべきではないと思う。国家が教育の全てを支配すれば、国民の視野などを左右できるからだ。国家にそれほどの権力を与えるのは危険だ。だから、私立教育施設を促すべきである。そして、子供一般には、実質的な選択肢を与えるべきである。経済力はない子供も、公立ではない学校を選ぶ権利を保障するべきなのではないか。しかし、そうするために公が支配しない教育の事業に支出することになる。だから、自由を保障するために、この第89条に違反しなければならないようだ。工夫して抜け道を見つけられるかと思えるが、正直にして、掟を廃止したほうが良かろう。

そして、宗教の部分だが、法律で「宗教」という言葉が出ないほうが良いと私は思う。前にも述べたが、宗教の定義は明らかではないし、国家が定義を決めたら、国家が事実上宗教を左右する権能を得るからだ。終戦直後、国家神道を廃止するために必要な措置であったかもしれないが、現在はもうその恐れはない。そして、憲法が国民の自由を保障すれば、「宗教」という言葉が出なくても、国民には信仰の自由が保障される。

ただし、「憲法第89条改正」を推進したら、国家神道の再建を狙っていると思われるだろう。特に神道と深い関わりがある私であれば。現状のような工夫をして、憲法とぶつからないように動いたほうが現実的なのかもしれない。


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