祝詞も神道の特徴の一つであると言わなければならない。もちろん、神様に対して何かを言うのは宗教の基本的な要素であるが、宗教は各々の特別な祈り方がある。祝詞は神道の特別な祈り方である。
先ずは、日本語で言うことは重要である。キリスト教で、祈る言語は重要ではないと考えられているが、神道で、「言霊」の概念を指して、祝詞を日本語で捧げることは重要だとされている。それに、現代の日本語ではなく、原則として一千年前の日本語を使うべきだと思われる。延喜式に載っている祝詞を模範として掲げて、同じ表現や語彙、そして文法を使って、現在の状況に会う祝詞を作成する。原子力発電所の稼働のための祝詞もあるが、それでも古語の文法や表現を使う。
表現と語彙といえば、「やまとことば」を重視する。つまり、漢字の訓読みがメーンになる。例えば、「八百万」は「はっぴゃくまん」ではなく、「やおよろず」と読む。そして、延喜式祝詞の表現を再利用することは多い。例えば、「天の御影、日の御影」という表現は、建物についてよく使われている。天気から住まいにする人を守るという意味として捉えられるが、元々大祓詞や祈年祭の祝詞に登場する表現だ。1300年前にどういう意味を持っていたのは定かではない場合もある。
祝詞作文について読めば、祝詞のよくある要素の存在にも気づく。例えば、「申す」という謙譲語の形は最後に使われていることは多い。つまり、祝詞の最後に「これを言っている」と言う。そして、対象となる神様に所縁のある神話を祝詞の中で描写することも多い。大祓詞はその顕著な例だが、現在よく唱えられる祓詞もその例だ。「掛まくも畏き伊邪那岐の大神」と始まるが、伊邪那岐に対する祝詞ではない。祈る神様は「祓戸の大神たち」である。祝詞の前半は、「伊邪那岐の大神が九州の海岸で禊をしたときに生まれた」という祓戸の大神の描写である。このようなことは少なくないので、祝詞の特徴の一つである。
もう一つは、奉る神饌の描写である。祝詞作文の教科書で、この描写は現実に会うように気をつけるように戒められるが、祈年祭の祝詞には白い馬、白い鶏、そして白い猪が奉られることは述べている。その祝詞は、もしかしてあまり使われていないだろう。
もちろん、世界中の祈りの共通点の依頼もあるし、感謝を表す言葉もあるが、それは特徴にはならないだろう。
実は、祝詞にも複数の特徴があるので、祝詞は神道の特徴の一つであるように、祝詞の特徴も部分的に削除しても、まだ祝詞である可能性はある。とても短い祝詞もある。例えば、「