この本は、今年の神社検定の参級の公式テキストになる。今回も、タイトルから内容がすぐにわかると思う。
ただし、神様と関連する内容だけではなく、万葉集の背景や成り立ちについての説明も入っている。だから、この本を読めば、万葉集にもう少し詳しくなる。神道の無関係で興味深いところといえば、原文の表記があった。万葉かなの存在が分かったが、極端に10文字で表された短歌が入っていることは知らなかった。やはり、万葉集を単純に読むことはかなり大変な作業だった。そして、言葉を把握すれば、それから意味を把握しなければならない。
では、神様と神道と関わる内容を見たら、どうだろう。現在の神道に受け継がれた要素は少なくないが、当然変遷も見える。数点をピックアップしたいと思う。
まず、祭祀を行う時の衣装の一部として、襷をすることは多かったようだ。一方、現在の一般的な祭祀装束を見たら、襷はない。だから、歴史と一緒に姿が消えたようだ。しかし、重要な例外がある。それは、伊勢の神宮の式年遷宮である。その場合、木綿の襷をして重要な祭祀に参加する神職は多い。同じように他の神社の遷座祭にも見えると思う。伊勢の神宮で、古式ゆかしい作法が一部残っているので、襷の使用はもしかしてその一つなのではないか。そうしたら、他の神社から消えたのは、いつだったろう。二つの可能性がすぐに思い浮かぶ。一つは16世紀の吉田神道の普及の時代である。吉田神道で装束を管理したので、襷を省略したかもしれない。もう一つのすぐに思い浮かぶ可能性は、明治時代である。明治時代の国家神道は、歴史的な作法や祭祀儀礼を多く廃止したので、襷もその一つだったかもしれない。
そして、また服装と関係することだが、7世紀に植物を髪飾りとしたようだ。現在の巫女は、造花を髪飾りとするが、本物の植物を使うことは少ないような印象がある。これはいいと思う。神道には、自然崇拝の要素があるので、植物を使ってそれを強調することも適切だと思うし、歴史もある。しかし、日常的であったら、面倒くさいだろう。枯れたらもう使えないし。それでも、特別な祭祀で本物を現在でも使ったら良いのではないかと思う。
もう一つは、ある特定の祭祀のことだ。巻9・1759の歌で、筑波山の歌垣の祭祀では、性行為は神様に広く許され、性的に自由な場になったと歌われている。つまり、性行為は祭祀の一部だったようだ。現在の神道の祭祀にはそのようなことはないのは言うまでもないが、1300年前にあったのは重要だと思う。まず、神道の変貌を忘れないように覚えておくべきだ。そして、同じように古い祭祀には性的な要素があったことは、簡単に否めないこと。顕著な例は大嘗祭である。折口信夫は、もともと聖婚だったと主張したが、現在の神職は「神道の祭祀には性的なことがあるものか」といって、退く。しかし、そう簡単に否定できなだろう。実は、大嘗祭の内容を考察すれば、神様に食事を奉る祭祀だったようだから、この場合私も折口信夫の仮説を疑うが、他の場合は違うだろう。過去の神道の祭祀を、現在の常識によって決め付けるべきではない。
結局、この本も興味深かった。後書きで、来年の公式テキストで古語拾遺を拾うそうだから、それは楽しみにしている。やはり、このテキストのシリーズは、神道の理解を深めるためにかなりの価値がある。