神道の特徴を考えれば、天皇崇拝は見逃してはいけない。今上天皇に限らず、明治神宮の御祭神は明治天皇と昭憲皇太后であるし、北海道神宮の御祭神の一柱も明治天皇である。そして、橿原神宮では神武天皇を祀るし、水無瀬神宮では後鳥羽天皇、土御門天皇、そして順徳天皇が祀られる。全国に各地には天皇を祀る神社が鎮座する。強いて言えば、八幡神社も天皇崇拝と結びつく。なぜなら、八幡様は応神天皇であると言われているからだ。(八幡信仰はもともと天皇崇拝と結びついたかどうかは別な問題だが。)
現在の神社神道を考えれば、皇室の祭祀を重視したり、勅使を祭に派遣されることを重んじたり、伊勢の神宮の皇室とのつながりを強調したりする。これ自体は崇拝には至らないが、その伝統を汲むのは否めない。
この要素は、特に近代日本に強調されたようだ。全国の天皇を祀る神社の殆どは、明治時代以降鎮座された。明治神宮は当然そうだが、橿原神宮もそうだ。江戸時代には、何もなかったそうだ。同じように、明治時代まで水無瀬神宮は仏教の施設だったそうだ。(確か、御影堂だった。)これは、神道を利用して天皇を中心とする国家を築こうとした政治家の戦略だった。江戸時代には、天皇が存在したが、影響力などはほぼなかったが、政府に対する謀反を正当化するために、天皇を掲げた。
しかし、19世紀に真新しい概念を発想して実現したわけではない。飛鳥時代に遡っても、天皇が崇拝されたことも見える。『万葉集』には「神をしませば」という句で天皇を、特に天武天皇を、神として崇める短歌が載っている。同じように、天皇のために祭祀を行った神祇官は神道の歴史に大変重要である。この要素は、古代から神道に見える。
確かに、朝廷から残った資料では、朝廷の祭祀が記されるので当然天皇と深く関わるし、地方の神社の祭祀記録が残ったら、天皇との関係はより薄いだろうが、他の伝統があるからといって、天皇崇拝はないとか、神道の真髄ではないとかとは言えない。客観的に見れば、自然崇拝や祖先崇拝より神道に密接している。
まず、上述した通り、天皇崇拝は明らかに神道の最古の文献で見えるが、自然崇拝や祖先崇拝はその時点でももう曖昧である。そして、現在の神社神道でも、天皇崇拝は重要な一部を占めているが、自然崇拝や祖先崇拝は濃色でない。その上、日本の天皇を崇拝するのは、日本の神道に限ると言える。他の国でそのような信仰はない。だから、宗教や祭祀には天皇崇拝が入れば、その祭祀は神道である可能性が明らかに増す。神道の特徴として、認めるべきである。