神楽

神道の祭祀には神楽が良く奏演される。神楽は神様に奉納する踊りであることはいうまでもないだろう。音楽は雅楽に基づくし、所謂三管は主役になっている。太鼓も使われているが、和琴の使用は少ないような気がする。記紀を読めば、琴を祭祀に使うことは多いが、最近珍しくなったようだ。もちろん、一つの理由は人手不足だと思う。雅楽ができる神職はそれほど多くないようだ。

そして、神楽といえば、巫女舞の「浦安の舞」とか「豊栄の舞」などが思い浮かぶだろう。この巫女神楽は、ゆっくりの振付であるし、雅な雰囲気をもたらす。しかし、意外と新しい舞である。百年の歴史も持たない。だから、神楽をこのような舞に限って考えるべきではない。実は、このブログで書いたことがあるが、私の氏神様の白旗八幡大神で毎年の特別な神楽が奉納される。それは「禰宜舞」と言われるが、宮司が舞う舞であるし、面を被って、神様を象徴する物を持ちながら踊る。この禰宜舞の歴史は、400年程度があるのは確実だ。そして、昨年宮城県での植樹祭に参加したとき、その地域の神楽が披露されたが、大変賑やかな神楽で、仮面して神様を演じることは多かった。出雲神楽も高千穂の夜神楽も同じようであるそうだが、見たことはないのでよく分からない。とにかく、神楽には種類は多いので、一つの様式に限ることはできない。

仮面をして神様を演じることは、神楽の原型であると言われるが、それは巫覡{ふげき}が神様に憑依されることを表すとも言われる。そして、能楽がそのような神楽から発生したとも言われるし、歌舞伎も出雲阿国が始めたが、彼女は出雲大社の巫女だったと言われるので歌舞伎も祭祀舞から始まったそうだ。逆に言えば、能楽や歌舞伎、日本舞踊は、神楽であると言えるし、神社に奉納することに相応しいと言えよう。薪能は有数な神社でよく行われるが、それもこの認識から生まれた行動だろう。

だから、神道の特徴として神楽を定義することは簡単ではない。まず言えるのは、踊りを奉納することは神道に相応しいとのことだ。キリスト教は違う。踊りを教会で捧げることは少ない。だから、この点でも、他の宗教との区別に貢献する。一方、踊りを奉納するのは神道だけではない。踊りの形式は違うが、フラダンスももともと宗教的な行動だったそうだ。フラダンスの奉納は無理ではないが、特に神道色を付けることでもない。同じように、バレエは踊りだが、神道色はない。結局、日本の江戸時代以前の踊りの伝統を汲む踊りを奉納すれば、それは神道色を添えることであると言えよう。神楽として長い歴史がある踊りであれば、さらに有力である。一方、他の踊りを奉納しても、神道色を損なわないとも言えよう。


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