躾のやり方

躾はどうすれば良いのか。

この問題も前にこのブログで論じたが、親になったら悩むのは当たり前だろう。完璧に大人が定める礼儀作法に従う子供は存在しないので、どうやって教えるかは日常の話題である。問題になる原因はすぐに分かる。

躾の効果は、子供が大人になってからしか測れない。そして、同じ子供に複数の躾の仕方を試してみることはできない。交えても、結局一つのめちゃくちゃな躾になってしまうし、結果がわかる時点で、もう役に立たない。その上、子供はそれぞれ個人差があるので、ある子供に効いたやり方が自分の子供にも効くとは限らない。さらに、子供が大人になっても、躾が効いたかどうかを測る方法は不明だ。子供がいつも礼儀正しくするのは基準であれば、日本でものほんとんどのやり方は失敗だ。逆に、基準は最低限の礼儀作法であれば、失敗するやり方は非常に少ない。それでも、礼儀作法はいつも正しいのに、意地悪する人も少なくないが、その場合躾が成果を収めたとは言えない。

国際結婚の場合、礼儀の立場から考えればさらに難しい。国によって、礼儀作法は異なるからだ。もちろん、まず育つ国の礼儀を教えなければならないが、他方の親の国と関わることは予想できるので、両方を教えないと問題が発生するだろう。しかし、それは難しい。覚えさせようとする内容は多いからである。そのため、思いやりを重んじたほうが良いのではないかと思う。

が、思いやりを教える方法も明らかではない。

この問題の解決策を持っていない。しかし、確信する点がある。

まず、子供を愛し、愛を表現すること。子供は、愛されていることが分からなくてはならない。これは基本の基本だが、問題の解決にならない。ただし、最悪な結末を防ぐことに足りるだろう。

そして、子供は親の背中を見ながら育つ。自分をなるべく模範にしなければならない。副作用として、礼儀作法などの真髄を実感するかと思う。自分で礼儀作法を具現化しようとすれば、何が重要で、何がただの飾りであるかを考えなければならない。

最後に、癇癪や葛藤になった時点は、躾ができない時点であること。その瞬間で子供を積極的に導こうとしても、喧嘩の中で流れてしまう。癇癪に冷静に対応して、その場でしなければならないことを優しく強調して、そして応じてくれなくても、受け入れる。落ち着いたときに正しいやり方を教えたほうが効果的だと感じる。当時に子供のとった方針は正しくないことを明らかにするべきだが、正してもらえたら、運が良いと思うべきだ。

その落ち着いた時にどうすれば良いのか、それはまだ問題である。説明したり、示したり、相手の感情を話したりすることだろう。この部分は積極的なところだが、まだ確定した手段はないからこそ、この問題の解決策を持っていないという。


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