低能力者の人生計画

低能力者の人生計画には大きな支障がある。まず、計画を立てる能力は持っていない。そして、計画を立てても、実現する能力はない。

もちろん、これはちょっと極端な言い方だ。最低の能力を持っている人はその通りだろうが、平均を下回る人は、一応計画を立てたり、実現したりすることはできる。しかし、能力が低ければ低いほど、問題が発生する。その問題は計画を阻止することはもちろん、人生全体を崩壊させることもある。例えば、間違った予想に基づいて大きな借金を背負う人は、それからの人生で借金の返済に責められるだろう。また、自分の健康を壊して、何もできなくなることもある。

このような問題は、低能力者は解決できない。解決できたら、低能力者ではないし、事前防止できるはずだ。だから、この問題解決は、高能力者に委ねなければならない。しかし、解決方法は簡単ではない。

低能力者は、高能力者と等しく人間である。低能力者も、高能力者と同じく、自分の人生を考えて、計画して、実現しようとする権利を持っている。だから、目的でも手法でも、低能力者の決断を否定して、別な方向へ送り出すわけにはいかない。一方、何もしないと、人の人生がめちゃくちゃになる。どうすれば良かろうか。

まず、実現する能力を考えよう。これは比較的に簡単な問題だと思う。なぜなら、殆どの人は、低能力者でも高能力者でも、目的を自分で選べば、手法について他の人からのアドバイスを受け入れる。だから、アドバイスを受けやすくするのは一つの政策だと思う。そして、何かを実現するための手続きをなるべく簡潔とするべきだとも思う。例えば、運転免許証の申請を考えよう。試験の難易度には決まりがある。安全な運転はできない人は、許すわけにはいかない。他の人に怪我を与えるからだ。一方、申請の手続きは、何も確認しない。だから簡潔にしても差し支えない。ここで「簡単にする」というのは、用紙の記入を不要とすることである。もちろん、用紙を記入して提出する方法を保っても良いが、用紙の前で怖がる人なら、手ぶらで窓口に行って、記入してもらうことも可能とする。そして、見本を見せながら持ったなければならない資料を教えることも重要である。今は、このような支援は、行政書士がするが、制度的には申請の一部として提供したほうが良い。ところで、源泉徴収は良い例になる。多くの人は、税金について考える必要はないが、特に低能力者は助かるだろう。

そして、問題の双方に対応するために、失敗の影響を最低限に抑えるべきなのではないか。これは、本人の責任で発生した問題も含まれる。なぜなら、低能力者は、自分の力不足で問題を起こすことは多いからだ。そのような問題を対象外とすれば、低能力者の助けにはならない。具体的にどうするかは、後日に考えたいと思う。

最後に、計画の問題がある。この問題は、根本的に解決できない。低能力者には制限されていない決断権を与えなければならないので、自分に悪い計画を選ぶことは予想できる。それは、許さなければならない。一方、選択肢を提供するのは良かろう。例えば、工場で働き始めてから、続けたら給料が上がるし、結局また決断せずに定年退職する。このような柔軟ではない古い形は、低能力者には優しい。現在のよく転職する形は、高能力者には有利であるが、低能力者には不利だと思う。この点について、さらに考えたいと思う。

つまり、低能力者を助けるために、一人一人手伝うべきではない。それより、社会の構成を巧みに調整して、低能力者が自力で人生を送るようになるためな生活環境を実現するべきであると私は思う。


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