今日で、このブログは9年間1日たりとも怠らずに更新した経歴を超えた。10年目に入った。
9年間の練習で日本語が上手になったかどうか分からないが、少なくともより速く書けるようになってきた。そして、日常的な出来事より、意見などを書き始めた。読者は確かに少ないが、実はこのようなことについて考えるのも楽しい。確かに私は実現できない話題ばかりを考えているが、それは哲学者の通常のことだ。これから、もう少し短なテーマについての考えるかもしれないが、楽しんで論じられる話題は重要だ。短歌の作歌も楽しくしているが、出版してもらうとは思えない。
ブログを続けるかどうか、時々考える。読者は少ないし、仕事への影響は直接ではない。一方、日本語の使いに貢献するし、私が興味を持つ話題について意見を具体化させる機会にもなっている。ぼんやりと考えれば、話題の面白いところを見逃すことは多いので、ここで千数百文字を書けば、深層が見えてくるし、後日にそのところをさらに探ることはできる。そして、そのような内容を仕事で使えることもある。
読者は依然として少ない理由を考えることもある。もちろん、内容はつまらないかだであるという理由は大きいし、偶然にそうなっているという理由も忘れてはいけない。しかし、より根本的な理由もあるのではないかと思う。一つは、このブログは文字ばかりであること。私は、絵は描けない。そのような才能は持っていないので、絵画でブログを彩ることはできない。写真を使うのは可能だが、私が論じる話題を写真で表すことは難しい。現在のインターネットで、写真などの利用は重要だ。そして、ブログの内容の分野が日にちによって大きく変わる。私と同じ興味の範囲を持つ人なら、毎日読みたくなるだろうが、そのような人は少ない。だから、ある日興味を持つ人は、その次の日の投稿には興味を待たないので、戻ってこない。最後に、投稿が長くなってきた。千数百文字は長編小説ではないが、1分で読める長さではない。これもインターネットの内容についてよく言われることだが、長いこと、集中力を要求することは、ネットで人気にならない。
だから、読者は永遠まで少ないと思わざるを得ない。読者はなくても、このブログの維持には意味があるのだろう。もう9年間になったので、少なくともこれから1年間続けないわけにはいかないだろう。それに、執筆する内容をさらに考える。今も連載小説を掲載したいと思うが、その執筆の皮切りはまだできていない。
まぁ、少なくとも1年間続けるので、これからも宜しくお願い申し上げます。