自由記述欄のコメントは、差別以外の内容は多かった。顕著になったのは、矛盾だった。例えば、「治安がいい」という人もいれば、「治安が悪い」という人もいた。同じように、「公務員の態度はいい」と「公務員の態度は悪い」とも両方あった。「街はきれい」と「街は汚い」とも。このような結果は、私の経験から想像できた。何かについて多くの人のご意見を集めれば、矛盾になる意見が入るのは決まっている。そのため、対応を決めるのは簡単ではないし、結局取り上げない意見があることは避けられない。この結果の具体例として、市の職員の態度を挙げよう。態度を評価したコメントのほうが多かったし、批判したコメントは抽象的だった。この結果から、態度全般には問題はあるとは思えない。多くの人は満足しているからだ。一方、問題が存在することも否めない。態度を批判した人の経験は良くなかったに違いない。しかし、その経験は具体的にどういう風に悪かったかがわからない限り、改善策は立てられない。結局、今の時点で何もできない。次回の調査で具体的に調べるかどうかを検討することにとどまる。
このような実態に配慮しながら、一般的な印象を述べさせていただく。
まずは、川崎市には利点は多い。治安から職員の態度まで、多くの外国人にとって住みやすいところだ。確かに、簡単に東京や横浜に行けることは掲げれれているが、場所を考えればそれは当然だ。一方、東京に行かずに生活ができることを評価する人もいた。このようないいこといっぱいの市であれば、革命のような変更を避けるべきだと思う。失う恐れがある良いことは多いからだ。変更は、慎重に、具体的な問題に対応するために実現するべきである。幸い、そのような改善は行政には都合が良い。大きな変化は嫌われるが、何もしないことも嫌う。戦略的に好ましい状況だろう。その上、市の職員にそのコメントは読んでほしい。仕事の成果を収めていることの証拠になるので、励ましになるのではないか。
では、問題のコメントを考えれば、何が重要であろう。
差別を置いておけば、目立つのは、言語に関する問題だ。翻訳された資料や通訳や外国語ができる職員の配置の願いは片方で、他方は日本語を勉強する機会を増やしてほしいとの願いである。この問題と取り組むべきだ。ただし、問題は多い。翻訳と通訳は、多額な費用を要する。そして、「でたらめな英語ではなく、ちゃんとした英語の翻訳はほしい」とのコメントもあったが、それは法律上できないことだかもしれない。なぜなら、業者に委託する場合、安い値段を選ぶ義務があるようだが、安い値段の翻訳を提供する業者は、良質な翻訳を提供できない。良質な翻訳には、多額なお金は必要であるからだ。それほどの技能を持っている人は、安くて働かない。市が質を考えようとしても、市の職員で英訳を評価できる人はいるのだろうか。タガログ語はなおさらだ。そして、全ての資料を多言語に翻訳することは、実戦上でも無理である。時間がかかるので、スケジュールに間に合わない。だから日本語を学んでもらうといえば、それにも費用と時間は必要だし、その制度はいかに充実したとしても、来日したばかりの日本語ができない外国人市民のことも考えなければならない。これは難しい問題だから後日また考えたいと思う。
もう一つは、他の市民との交流の機会がほしいとの声だった。これは重要である。しかし、市には何ができるかは、明らかではない。市民祭りなどはもう行われているので、人は参加しないと、市は何もできない。
そして、言語と関わるが、情報伝達の問題が取り上げられている。代表者会議でもほぼ毎回この問題と取り組むが、極めて難しい問題だ。
もう一つは、託児所の問題だった。やはり、待機児童の問題は、川崎市ではひどいようだ。これは外国人市民に限らないが、深刻な問題で、解決した方が良いと思える。
調査の結果を考えれば、多文化矯正施策検討委員会として考えるべき問題は下記の通りだ。
- 差別
- 言語の壁
- 情報伝達
- 待機児童
このブログで、私の考えをちょっと整えたいが、その前に調査自体についての反省と次回の希望について投稿させていただきたい。