信頼と同意

最近の倫理的な話で、同意はかなり重視されている。これは良いことだと私も思う。例えば、治療を受ける前に、同意しなければならない。個人情報の利用にも同意しなければならない。個人的な関係でも、同意は重視されている。同意の有無は、倫理的な絶対的な力を持つと言う人もいる。

私は、それまで行かない。まず、医者の場合を考えよう。例えば、とても珍しい病に患ったとしよう。その場合、医者から病気の説明と治療法の説明を受ける。その説明は、「ひどい病気だ。治療しても良いのか?」に過ぎなかったら、問題視されるのは当然だろう。だから、同意だけではなく、インフォームドコンセントの概念がある。ただし、素人であれば、医者の説明を理解できるのだろうか。万能細胞の云々。p53抑制などなど。遺伝子刺激とか。その場合、どうする?もちろん、同意する。説明は分からないし、治療はどうなるかも分からないが、同意する。手続き上、これは同意である。説明してもらったので、法律や規則の従った。それでも、本当に同意であろう。

ソフトを買うときの規則も同じだ。画面で「同意する」「同意しない」とかいてあるボタンが現れるが、詳細を見るようにすれば、文字の壁が現れる。このブログの投稿より長くて、専門用語を使うこともある。そして、実際に読めば頭を傾けることもある。先日、私はある詳細を見たら、その中で「未成年者であっても、法律的な拘束力がある」と書いてあったが、そのような規定は無効なのではないかと思う。未成年者には法律上の決断力はないことは、このような契約から未成年者を守るために存在するのではないか。しかし、私は弁護士ではない。大手企業だから、弁護士があるはずだ。同意すれば、わかって納得したからではないだろう。

この場合、同意すると言えないと私は思う。むしろ、信頼する。何をするかは分からないが、信頼する。この場合、「信頼する」というのは、相手は自分の利益を把握して、そのために適切に動くことを信じると言えよう。もちろん、相手は人間だから、完璧にするとは言えない。しかし、それに勤めるし、多くの場合成功すると信じないと、信頼できない。医者の場合、それは明らかだ。医者の診断は普段正しくなければ、そして治療法は普段効かなければ、医者を信頼しないだろう。

結婚などの関係でも信頼すると私は思う。配偶者には、一々同意を得る義務を課さない。些細な例だが、晩御飯を作ってもらえれば、毎日その献立と材料を詳細な説明を受けて、その日の食事に同意するわけはない。信頼する人がビックリさせることをしてくれても、怒らない。一方、同意を必要とすれば、驚けば相手は明らかに悪い。驚くことには同意したはずはないからだ。

知らないことには限らない。信頼する人は、嫌だと思うことをしても、大丈夫だ。その行為は自分のためであれば、信頼関係を損しない。結局間違ったとしても、そのような間違いは少なければ信頼関係は生き残る。

だから、信頼は同意を越えると言えよう。信頼関係があれば、同意は不要である。

ただし、信頼関係は壊れやすい。そして、特別な人との間に結ぶしかない。夫婦同士で必ず結ぶとは限らない。医者は、厳しく規制されている目的は、信頼出来ることだと思う。この立場から考えれば、ソフトの契約は本当に怪しい。企業を信頼する理由は特にないので、同意できる契約を提供してもらわなければならない。前にも触れたと思うが、そのような契約を法律上無効とした方が良いと私は思う。一般の人がちゃんと分かるように説明できない限り、同意は得られないとするべきだ。

理想的な社会では、信頼を認めた方が良いと思うが、法律の目的は信頼はない関係であるので、法律は信頼を認めれば、限定された場合に限るべきだ。ただし、具体的にここでどうすれば良いかは、難しい問題である。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: