昨日のニュースで、安倍総理大臣が新国立競技場の計画を白紙に戻したことは報道された。確かに2500億円の建設費は高いし、当初の予算を6割ぐらい上回る。しかし、これは簡単な問題ではない。
まず、建設費の一部はもう出したはずだ。準備が進んでいたと思われるからだ。その費用はタダな無駄遣いになっている。もちろん、その数億円のために数百億円を出すべきではないので、決断は正しいかもしれないが、痛いね。
そして、数年間の計画は白紙に戻された。今、ゼロから始まると、間に合わせることは難しくなる。もう「国際コンペはできない」と公表したが、設計図を用意して、そして建設することは容易ではないだろう。日本だから、間に合わせられると確信しているが、やはり大変な作業になる。
一方、建設費が2500億円まで膨らんできた。さらに膨らまない保証はやはりない。この2500億円の総額は、最初の1500億円の設計から一部の設備を省略してからの金額だから、さらに削る必要が生じるのだろう。900億円の予算は、どこから捻出するかはやはり悩ましい問題だ。ここで、重要な問題が生じる。
一つの選択肢は税金から補うことだ。しかし、その場合日本の住民にその費用を押し付けることになる。確かに一人当たり1000円未満だが、それでも気づく金額である。オリンピック・パラリンピック委員会の失敗を国の住民へ転嫁するのは良くないと感じざるを得ないだろう。普段は、関係者から出費させることはできるが、900億円の金額であれば、関係者にはそれほどの資金はないと思える。もう一つの方法は、特別税を設けることだ。例えば、スポーツ関係の商品に2%のオリンピック・パラリンピック消費税を課せば、数年間で賄えるはずだ。(日本で、スポーツ関連の売り上げはわからないので、もしかして1年以内できるかもしれない。)もちろん、スポーツに参加する人は必ずしもオリンピック・パラリンピックに興味を持っているとは限らないが、少なくとも関係がある。
でも、どう見ても、「良い」選択肢は見当たらない。
だから、白紙に戻したのではないかと私は思う。
この決断には良い影響があるのではないかとも思う。オリンピック・パラリンピックのような国を挙げて大規模な催しの場合、費用がいかに膨らんでも国が賄うという印象があった。少なくとも、私にはあった。今回の決断で、その費用が当初の予算を大幅に超える場合、国は拒否する可能性があることは証明された。将来に、このような催しを計画する人は、もしかして当初の予算にもう少し気をつけるのではないか。もちろん、正確に予算を立てることは極めて難しいが、余裕を持って提出するようになるのではないか。より現実的な取り組みは、全体的に良いと思わざるを得ない。