今農村や山間地などの過疎化、少子高齢化、そして農業離れが憂えられて久しい。この問題には根本的な原因があると思われる。それは、農業の問題である。
昔の社会では、農業で自分の食料を賄って、租税を納めて、自分の力で衣食住を入手すればよかった。そのような形で、一千万人の人口が日本に住んでいた。江戸時代にはもうこれで足りなかったので、多くの人は江戸へ逃げ出そうとしたそうだ。その時代、法律で移動を禁じたが、現代ならそうできない。今の世界で、食料は比較的に安いし、消費者の値段の大半は、農家の後の加工、搬送、販売に占められる。だから、農家には平均的な家庭のような収入を確保するために、大量のお米などを収穫しなければならない。しかし、そうするために、田んぼも面積も必要となる。その必要な面積は、一つの集落の周りの田圃は、一つの集落の人口の生活に足りないことになると思われる。だから、集落は自然に過疎化して、限界集落になってしまう。なぜなら、二つの選択肢がある。一つは、小規模な農場のままにすることだ。そうすると、若者の魅力的な未来は集落にはないので、当然都会へ出て行く。もう一つは、大規模な農場に変更させる。その場合、農家が激減するので、もう仕事はない人は当然都会へ出て行く。いずれにしよう、村がなくなる。
歯止めをかけるために、純粋農村ではなくさせるしかない。そうすれば、人口の一部は農業で収入を得て、残りは別な方法でする。つまり、山村の多様化を促進しなければならない。
多様性は多種多様だから、統一にはならないが、可能性を持つ候補は思い浮かぶ。例えば、通信販売やネットを利用して、工芸品などを売ることは可能だろう。特に、伝統工芸であれば、工房は山間の田園風景の中であれば、魅力的なのではないか。それだけではない。いわゆるテレワークで、山村からも大手企業で働くことも可能だし、様々なフリーの仕事も可能だ。そして、交通網に気をつけたら、地方都市へ通って働くことも可能とできる。観光業も交通網に寄るが、これも一部となり得るだろう。
このような仕事が基盤となったら、村民に何かを提供する職業も可能となる。例えば、近所の小売店やレストランの経営が可能になるし、小学校も必要となるだろう。小学校には先生は必要だが、先生が村に住むのは先生にとって一番便利だろう。
これで村が生き残るだろうが、大きく変貌するのは確かだ。農業と関わる人は、田舎でも非常に少なくなるからだ。神社の祭祀へ影響を与えるだろうが、田圃は残るので風景は大きく変わらないと思われる。そして、数少ないの農家は、ちゃんとした収入を得ることはできるので、若者は離れないだろう。
だから、活性化のために重要に思われることは三つある。一つは、このような多様化を抑制する規制を撤廃することだ。そして、村に根付いている中小企業や自営業の起業を促進する方針だ。税制での優遇とか手続きの簡素化などはそれに当たる。最後の重要のことは、外から、それから上から、詳しい計画を押さないこと。村民は自分で生きる道を選んで、そして転入する人も自分の生業を選ばなければならない。