常時の危機として、そしてちょうど今目立ってきた問題として、難民問題がある。
原則として、難民を助けるべきだと思う。戦争や弾圧に苦しまれた人たちが逃れて、安全な場所を求める。断るのは非人道的だ。
それでも、簡単に受け入れることはできない。例えば、総人口400万人程度のレバノンで、100万人を超えるシリア難民がいるという。これは耐え難い状態であるのは明らかだ。そして、先日述べた通り、ソトから解決できない危機や問題もある。そのような問題は、難民を生み出すことは多いので、問題の源は解消できない代わりに難民を助けるのは良い。
そして、難民を丁寧に受け入れることは、受け皿となる国にとっても有利である。自分の国を抜け出せた人は、平均の人より決断力や忍耐力は強いと言える。そのような人は、機会があれば、周りの社会に貢献する。その上、社会に外からの新しい要素を取り込めば、文化がさらに豊かになる。(これは平均的な話である。例外はもちろんある。しかし、世界屈指の天才も難民の中にいる場合もある。それも例外だ。)
ただし、そのような利益を得るために、難民の受け入れを丁寧にしなければならない。基本は、既存する社会に溶け込めるように工夫しなければならない。言語を習わせたり、仕事を就かせたり、近所の社会との絆を築いたりしなければならない。その上、家族をバラバラしてはならないが、同国の難民同士のコミュニテイを作らせるのは危ない。なぜなら、周りの社会と接しないことで不信感が双方に湧いてきて、長期的に人種問題の温床になるからだ。イギリスやアメリカでそのような現象が見える。
言語の教室を提供したり、仕事の斡旋をしたり、住民との交流の場を設けたりするのは受け入れる政府の役割だから、通常の難民対応にはかなりの財源は必要となるだろう。その一方、長期的な利益もあるし、人道的にも良い。受け入れる人数は総人口によって異なるが、年間で0.5%は問題なかろう。イギリスの場合、それは30万人程度で、日本は50万人。その10分の1にしても、今よりはるかに多い人数になる。そして、日本の総人口が去年20万人減ったそうだから、その半分の10万人を受け入れても、減少対策の一環となる。
もちろん、受け入れる人数を世界の状態に合わせるべきだ。世界中の難民の人数によって、受け入れる枠を増やしたり減らしたりするのは適切だ。この規模を冷静に決めれば、世界中の状態に慌てずに対応できる。
もう一つのことがある。隣国で難民問題が発生すれば、より多く対応すべきだ。それは、地理的に特別な資格を持つことだ。この場合な受け入れは、緊急な救命的な行動だから、言語の教育などはできるはずはない。衣食住を確保すれば、十分だ。中期的に仕事も重要であるが、それは後回しする。このような問題は、島国はちょっと少ないだろうが、完全に対象外ではない。だから、受け入れる国の援助を常に行うし、自国の番が回ってくれば、その予算を自国で使う。
このような問題が起きないように、常時から隣国と協力して防ぐべきだと言えるが、やはり難しい場合も少なくない。だからこそ外交は重要である。