昨日未明、安全保障関連法案は参議院本会議で可決して、成立した。予想できた結果だろう。与党は両院で多数を占めるし、この法案は安倍内閣にとって特に重要な法案であったので、廃案にさせるはずはなかった。だからこそ、立法を前提として自衛隊などの公務員が動くのは当然だった。誰でも予想できる状態に対応するための準備を整えるのは責任である。放置するのは無責任。(確かにそのような例も少なくない。)
問題はこれからだ。前にも述べたが、憲法学者の大半は法律は違憲であると判断すれば、最高裁判所が同じ判決を下す可能性は高い。絶対的ではないが、予測すれば、憲法学者の違憲を指針とするべきだろう。その場合、法律を前提とした活動を速やかに取りやめなければならない。アメリカの軍隊と一緒に自衛隊が活動しれいれば、直ちに撤退しなければならない。それは、アメリカとの関係を悪化するにちがいない。法律を立法せずに従前のままでするより悪影響。その上、準備に費やした税金は無駄遣いとなる。
この可能性を踏まえて、この法案は無責任だったと思わざるを得ない。もしかして合憲と判決されるかもしれないが、その可能性は低すぎる。このようなことはやりたかったら、憲法を改正するべきだ。
先日、英語の論文雑誌の「The Journal of Japanese Studies」(日本学雑誌)で日本国憲法についての記事を読んだ。1回も改正せずに70年を続く憲法は極めて異例であるのは事実だ。しかし、両院の3分の2を必要とする条件は問題ではないようだ。ドイツの憲法には同じ条件があるが、数回改正されたという。記事で、世界中の憲法と日本国憲法を比較した。日本の憲法の特徴は二つあるそうだ。
一つは、事件を守る定めは多いこと。特に、70年前の時点で、最前線だったと言える。当時のアメリカより人権は守られた。(今もそうだろう。)いわゆる「環境権」は想像もしなかったので、載っていないが、他の権利は勢揃い。一方、国の運営の定めは非常に曖昧である。選挙の詳細などは、国会が普通の法律で定める。記事を書いた学者によると、ここで改正されない理由は見えるそうだ。人権は守られているので、進歩派は改正の必要性をそれほど感じない。載って欲しい掟はもう勢揃いからだ。一方、権力者は、自分の権力を定着させるために、憲法を改正する必要はない。普通の法律で当選を確実にできるからだ。同じように、社会の状態が変わると、憲法を変えずに応じられる。説得力のある案だ。
しかし、この法案で、限界に達しただろう。もう「憲法解釈」で自衛隊の活動を拡大できないかもしれない。憲法改正の必要性を強く感じる政治家が現れるので、もしかして改正の運びになるのではないかと思ってきた。