神社には聖域がある。一般の神社の場合、本殿の中はそれに当たると言えよう。伊勢の神宮では、御正宮の周りには4重の垣があるので、新制度が段階的に高まる聖域がある。一番奥の瑞垣に入れるので、神宮の高級の神職と天皇陛下ぐらいである。一方、一番手前の板垣の中に入れるのは、崇敬者なら一般の人である。私も、数回入ってお参りしたことがある。大神神社では、三輪山は聖域だから、登山する前にお祓いを受けて、白い襷をすることになる。その上、拝殿の奥には禁足地があるが、それは例大祭などの場合宮司が入る以外、誰も入らない。宗像大社では、沖ノ島の島全体は聖域で、女人禁制が続くし、上陸する前に素っ裸になって海水で禊を行わなければならないそうだ。
このような聖域は、神産霊神社にもあると適切だと思う。神道の歴史や習慣を象徴する神社であるからだ。そうすれば、聖域の意義は何だろう。
参拝者から見れば、日常と非日常の違いであると思う。聖域に入れば、普通の生活から離れた気分は重要であると思える。それは、潔斎の意義の一つでもあると言われる。そして、祭祀の後の直会は、聖域から日常に帰ることを象徴するとも言われている。聖域は、この「非日常」の具現化として考えても良い。
そう考えれば、普段、存在が明らかであるが、中によく見えない聖域は良かろう。神宮の聖域はそうだし、三輪山もそうだ。
そして、聖域は、祭祀の段階を区別する方法にもなる。つまり、小祭の場合入る聖域があるし、中祭の聖域もあるし、大祭の聖域もある。それから、入るための潔斎は、祭祀のための潔斎に合わせると良い。
では、具体的にどうすれば良いのだろうか。
小祭は、拝殿の昇殿して、取り行ってもらうのは普通だから、一番手前の聖域は、拝殿とするだろう。入らない限りよく見えないことにするために、拝殿に階段を設け、一般参拝は階下にする。拝殿は一応見えるが、低いから中はよく見えない。特に、拝殿の奥は見えない。
中祭は、拝殿からチラッと見える場所は良いが、拝殿の外から全く見えないのは良いだろう。「内拝殿」という言い方は、神社に使われることがあるような気がするが、とりあえずその言い方を使う。内拝殿は、拝殿の外から見えないようにするために、板垣を廻らすと良かろう。高くすれば、屋根や千木しか見えないだろう。それは、神宮の形式と同じであるので、認める。
大祭の場合、どうすれば良いのか。本殿ははっきり見えるところは良いのではないかと思う。つまり、拝殿から本殿は見えない。内拝殿からチラッと見えるが、大祭ははっきり見える場所で行う。ただし、さらに「内々拝殿」を設けるのは、ちょっとごちゃごちゃな気持ちだから、それはやめたい。次回、社殿の具体的な配置を考えたいと思う。