共食の儀を祭祀の次第に組み入れることにしたが、詳しくどこに入れるかは、まだ決まっていない。今回、祭祀の構成について考えたいと思う。
祭祀の前に修祓を行って、穢れを祓う。祭祀の後で、直会を行って、潔斎を解除して日常に戻る。この二つの儀式は必要不可欠であると言えようが、祭祀の部分ではない。祭祀の準備と祭祀の後片付けになる。
祭祀の概念は、神様を迎えて、持て成して、一緒になることであると言える。「賓信仰」という概念は柳田國男氏の研究だったと思うが、その様子は強い。神社の常設が決まったら、概念が変わってきたが、その神様との対面のような感じはまだ入っている。そこで、祭祀の部分を考えて、機能を確認したいと思う。
献饌の儀は、神様に食事を提供する儀式である。一方、徹饌の儀は、食事を片付ける儀式だ。
祝詞奏上は、祭祀の目的等を神様に説明する儀式である。
神楽は、神様を慰めたりする儀式だ。神様が対象となるのは重要である。(昔は、神楽で神様の憑依を招いたそうだが、最近の神楽にはその意味は一般になくなっている。)
玉串奉奠は、幣帛を神様に奉ることを象徴するし、自分の魂を神様に捧げてご加護をいただくことも象徴する。
共食の儀は、神様と一体化して、力や利益を得ることを象徴する。
そして、降神の儀は、神様を迎える儀式で、昇神の儀は神様を見送る儀式に当たる。ただし、常設の神社で祭祀を執り行う場合、この儀式の位置付けが曖昧になる。なぜなら、神様は本殿の中で常駐するからだ。神様はもはや降臨していれば、招く必要はない。神社本庁の式次第では、中祭以上の祭りで、本殿の御扉を開くが、それは降神の儀と相当する。ただし、その場合、小祭で行わないと、神様が降臨しないこととなるはずだ。もちろん、神籬で祭祀を執り行う場合、降神の儀は明らかに必要になるし、お守りの御霊入りの儀にも降神の儀は必要だ。神籬も内符も、儀式の前に神様の依代になっていないからだ。
降神の儀と昇神の儀を今回さて置くことにして、神様が臨場することを前提に他の祭祀の要素の組み合わせを考えよう。
まずは、祝詞奏上を早い段階で行うべきだと思われる。祝詞奏上で、祭祀の目的を明言するので、ご利益を頂こうとする儀式の前に、その利益が欲しいかを明確にするべく行うしかない。そして、玉串奉奠を共食の儀の前に行ったほうが良いと思わなければならない。玉串奉奠で、神様に対して奉るが、共食の儀で何かを頂くからだ。原則として、頂く前に奉る。しかし、祝詞奏上と玉串奉奠の順番は明らかではない。依頼を申し入れる前に何かを捧げることもあり得るし、先ず目的を明確にして、それから捧げ物を提供する順番も考えられる。
神楽などの奉納は、神様への供物の意味合いを持っている場合、共食の儀の前に行ったほうが良いと思う。ただし、玉串奉奠との関係も、祝詞との関係も考えなければならない。現行の祭祀では、玉串奉奠は締め括りのような役割を担っているので、それを受け継いでも良いと思う。つまり、複数の供物があれば、玉串奉奠を最後にする。玉串奉奠で、神様に芸能や物を捧げる行動が終わったことを示す。
では、祝詞の位置はどうすれば良いのか。流れを考えれば、玉串奉奠の後は良いのではないかと思ってきた。共食の儀はない祭祀では、玉串奉奠はご利益をいただく象徴も兼ねるが、共食の儀があれば、その必要はない。だから、まず神様に物を奉って、そして祭祀の目的を説明して、最後に一体になってご利益とご加護を頂く概念とすればよかろう。
では、次回降神の儀と昇神の儀の扱いを考えたいと思う。