降神の儀は神様を迎える儀式で、昇神の儀は神様を見送る儀式である。前述の通り、神籬などの臨時斎場で祭祀を執り行う場合、降神の儀と昇神の儀の必要性は明らかだ。そうしないと、神様が臨席しないからだ。神道の祭祀は元々臨時斎場のみだったそうだから、降神の儀と昇神の儀が祭祀の一部だったに違いない。ただし、奈良時代から常設の神殿が普及し、常駐する神様の概念も広がった。その場合、降神の儀と昇神の儀の役割が曖昧となる。神様は常に鎮座しているので、迎える必要はないし、見送るのはむしろ失礼である。
現行の祭祀次第では、中祭以上の場合、神殿の扉を開けることがあるが、その時警蹕を唱えるので、やはり降神の儀の代わりになっている。しかし、意味は不明である。扉を開けて神様を迎えれば、小祭の場合神様はいないわけはない。神聖な区域を披露する意味もあると思えるだろうが、そうであれば開けるうちに警蹕を唱える意味は分からない。警蹕は、神様が動いている時に唱えるからだ。(伊勢の神宮の式年遷宮の遷御の儀の間、ずっと警蹕を唱えるような気がする。それは、神様が動いているからだ。)
では、神産霊神社の場合、どうすれば良いのか。降神の儀と昇神の儀は、神霊が動くことを象徴するように使用したいと思う。そして、神霊は本殿に鎮座することを基本的な考え方として取り入れる。先ほど神産霊神社の社殿の配置を描写したが、拝殿は本殿から遠い。だから、神霊を拝殿に招くことはあり得る。
拝殿では、三箇所で小祭を行うと述べたので、その三箇所に本殿からの神霊を招くと良かろう。その降神の儀は、祭祀ことに行うのではなく、朝の儀で降神の儀を行って、夕の儀で昇神の儀を執り行う。(朝の儀と夕の儀は、後ほど書きたいと思う。)そして、拝殿の掃除などは、神様がいないうちに行う。もちろん、簡単な片付けは常時に行うが、本格的な掃除は朝の儀も前か、夕の儀の後。昼間に急遽に必要となれば、昇神の儀を行うと良い。依代として御幣と御鏡を設置するとよかろう。
ただし、中祭の次第で、拝殿で祭祀を執り行う場所を通って、奥の扉から幣殿に渡る。神様を超えるのは失礼なので、工夫しなければならない。それは、中祭の参列者が小祭の場合に着くと、昇神の儀を執り行う。神様がいなくなったら、奥へ進む。そして、小祭を担当する神職がまた降神の儀を執り行う。出るとき、鈴を鳴らして、拝殿にいる神職に知らせる。そして、神職は昇神の儀を行うと、渡ってくる。一旦止まって、また中祭を担当する神職が降神の儀を行って、小祭の斎場をまた用意する。
中祭自体は、幣殿に神様を招くので、最初に降神の儀が必要となる。祭祀が終わると、昇神の儀を行う。神楽は神楽殿で舞うが、神楽殿は本殿から見える場所だから、神様は本殿から見ると見立てると良い。
このパターンを考えれば、神霊は常に本殿に鎮座する。昼間は、一般に拝殿にも鎮座するので、祭祀を厳粛の裏執り行う。幣殿には、普段神霊はいないが、祭祀を執り行う間招く。社殿の掃除などは、神霊はいない時期に済ませるのは常識だろう。