では、客観的な縁の基準をどう知れば良いのか。
最初に強調したい点は、多様性である。一つの方法に絞ったら、たまたまできない人は生じると思える。だから、複数の道を開くべきだ。すぐに思い浮かぶ大別は、お金のある人と時間のある人である。現在の社会では、お金があれば時間はない一方、時間はあればお金はない傾向は強い。だから、双方に縁を組む道を開くべきだと思う。
神社と縁を組むために、まずはお参りすることだろう。お参りで、三つの形は区別できるだろう。一つは、一般参りである。つまり、社頭に進んで、礼拝するお参りだ。特に神職に依頼しないし、神社で特別な祭が行なわれているわけでもない。もう一つは、神社の共同祭などに参列するお参りだ。最後に、氏子祭を執り行ってもらう昇殿参拝である。
一般参りの場合、1回では縁を組まない。しかし、繰り返してお参りすれば、それは縁に達する。一つの基準は、百日参りだろう。それは、100日間毎日お参りする行動だが、意外と難しい。私は原則として近所の氏神神社に毎日お参りするが、百日参りはまだできていない。2泊以上の旅行が入ってしまったり、台風が襲ったりするからだ。しかし、神職によって、ほぼ百日参りになったことを百日参りとみなすことはできる。もう一つの基準は朔参りだろう。毎月の一日に神社にお参りすれば、1年間続けば縁を組んでいることになる。確かに、合計で12回にしか登らないので、15日参りも必要としたらよかろう。それで24回になるので、1年間で続くことも考えれば、縁となるだろう。さらに考えれば、毎週のお参りも基準になるだろう。日本の伝統には「週」はなかったが、現在の社会構成で、日曜日にお参りできる人は少なくない。1日と15日の曜日は変わるので、その基準は難しいが、毎週の日曜日はできるだろう。その場合、半年で26回になるので、半年続けば良いとしよう。しかし、こう考えれば、百日参りは一段上の縁に感じられる。同じ基準として、50日参りを認めた方が良かろう。最初から最後までの時間も重要であるので、回数が倍になるが、時間は短いのでほぼ相当すると言えよう。
一般参りは、神社の近くに住む人に事実上限る。遠方からお参りする人はどうしたら良かろうか。まずは、共同祭のことを考えよう。共同祭の大祭は年に3回行うだろうので、共同祭の大祭に7回参列すれば、基準を満たすこととしよう。そして、1年間の全ての共同祭に参列すれば、それも基準とする。中祭もあるので、年間に10回ぐらいとなる。これは、朔参りと15日参りの半数だが、神社の重要なお祭りに参列するので、5分で済ませるお参りではない。回数は少ないが、神社にいる時間は長くなる。
そして、氏子祭も基準と関係する。例えば、小祭を7回執り行ってもらうこと、または中祭を3回執り行ってもらうことを基準とする。大祭を執り行ってもらうために縁を組まなければならないので、基準に入れない。氏子祭を執り行ってもらうために、初穂料は必要となるし、修祓などの儀式も経験するので、特に中祭の回数は多くなくても良い。
これでお参りの目的は7つ整っている。時間は少ない人でも、そして遠いところに住む人でも、3年間でいずれかに達することはできるに違いないので、1つ目の道として、これは良かろう。他の選択肢は、どうするかは、後日に考える。