今回のタイトルはちょっと変だと思われるかもしれないが、神道の伝統では、神社との縁は選ばないことから発生する。例えば、氏神は元々自分の氏族の神様だった。祖先神である場合もあったが、例えば源氏が八幡様を祖先神とするように、氏族の始祖、または重要な人が特別に崇敬した神様も氏神になった場合も見られる。そして、産土神は、そもそも生まれたところの守護神で、生まれた時に決まった。そして、鎮守神は、特定の地域を守る神様だったので、その地域の中に住めば縁がある。現在、この三つの基準が混合して、「氏神」と言われるし、基本的に地理的な関係を重視する。神産霊神社では、このような伝統も生かしたい。
では、まず、住む場所である。神社には、定義された氏子区域があるが、その区域に住めば、それは縁の基準の一つを満たすこととする。同じように、生まれた時にその区域に住んでいたら、それも基準の一つを満たす。
そして、氏族の縁を導入するために、親または配偶者は神産霊神社の正氏子であるかであった場いい、それにその資格を10年間以上持った場合、それも自分の基準の一つとなる。「正氏子」というのは、後で考えたいのだが、大祭を執り行ってもらう基準より厳しい基準を指す。
このような基準には不公平な側面は見られるかもしれない。親などの縁が自分に役に立つのは現在の考え方と違う。しかし、神道では踏襲を重視する傾向は強いので、無視するわけにはいかない。そして、親の関係、それとも住まいの地域の関係で、大祭を執り行ってもらう資格の一部しか入手できない。海外生まれで、ちょっと離れた場所に住んでも、参拝や奉納で資格を得るのは難しくないので、排他的な壁にはならない。つまり、開放感と伝統を重視する要素のバランスを保つと思う。先祖は神社と関わっていたら、自分の絆は結びやすくなるが、そのような縁はなくても、結ぶのは大変なことではない。
では、今までたくさんの基準を掲げられたが、大祭に参列する資格とどう関係するのだろう。考えているので、そのいずれかの三つを満たしたら資格を持つことだ。だから、親は正氏子であり、氏子区域の生まれ育ちの人は、何もしなくても縁があるが、それは当然だ。親と神社の関係は密接だし、ずっと住んでいたので、他の基準を満たさないとは思えない。そして、時間があるがお金はなければ、1年間の参拝や奉仕で縁を組むことはできる。一方、お金はあるが時間はなければ、氏子区域に住めば、奉納ですぐに縁を組むことはできるし、小祭に参列することでもできる。
つまり、ほぼ誰でも、大祭の資格を目指せば、1年間以内達することはできるはずだ。
資格でかなりの時間を費やしたが、これから大祭事態について考えたいと思う。