経済成長主義脱却

今日、経済成長を重視しない方が良いと主張したい。

この立場を理解するために、経済の測り方を把握しなければならない。経済の大きさは、代金がある行動を計って定める。これで、様々な矛盾が発生する。

まずは、家を考えよう。家を建てる時点で、経済的な活動が見られる。建設費が支払われるので、計られる。しかし、家が建っている間に、家から経済活動が発生しない。(修理費を見逃す。)いよいよ、取り壊す時に、経済活動がまた発生する。経済活動を維持するために、毎年家を建て替えた方が良い。しかし、合理的な立場から見れば、それは良くない。

そして、子育てを考えよう。親はお金をもらわないので、経済活動にならない。しかし、共働きになったら、両親はお金をもらう。そして、子育てを幼稚園などに頼まなければならないので、お金を出す。これも経済活動になるので、国内総生産を上げる。つまり、経済成長を下支えするために、子育てを親からとって、雇用されたプロに任せた方が良い。

さらに例がある。ある会社が全く不要なものを作る。作成する人にお金を出すので、経済活動になる。そして、大規模な宣伝作戦を実現して、この不用品を持っていない人は人間失格であることを主張する。広告費も経済活動になる。心配して、ものを買う人が多くなる。これも経済活動になる。国内総生産が良くなったが、実際の結果は心配のために多くの人が不要なものを買ってしまったことに過ぎない。

つまり、国内総生産自体は良いことではない。その総生産の内容は極めて重要である。役に立つものしか作られないことを前提とすれば、確かに国内総生産は良いことだが、その前提は信じるべきではない。周りの店の中に覗けば、すぐにわかる。役に立つものはあるが、そうではないものも少なくない。

本当に重視すべきなのは、住民の生活の基準の向上である。200年の歴史を持つ家に住むことは生活の向上に資するだろうが、経済成長に貢献しない。家族と一緒に団欒することは良いだろうが、経済にならない。外出して、カラオケなどした方が良い。経済成長を重視すれば、すぐにできる経済的な活動を重視してしまう。住民には何が必要であるか、何が欲しいかを調べると、経済が縮小するだろう。だからしない。だから走るばかり。

しかし、急に経済成長を放棄すれば、投資家がパニックして、株価が下落して、実体経済に大きな打撃をもたらす。だから、徐々に脱却するしかない。その方法を考えるのは、政治家の大きな責務であると言えるだろう。


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