久しぶりに神産霊神社の話に戻りたいと思う。去年の投稿で、氏子崇敬者のための祭りを考えたので、今回後祭神のための祭りについて検討するつもりだ。
神祭りは、神のための祭りである。つまり、人間の願いなどを伝えることはない。神慰めなどは神祭りの内容になれると思われるので、奉納芸能は多いだろう。
この分野に踏み込んだら、一般の実際の祭りはあまり参考にならない。一般の祭りの殆どは依頼か感謝かを中心とするからだ。例えば、祈年祭は豊穣を祈願し、新嘗祭がその実りを感謝する。特殊神事では神のための神事があると思うが、特殊神事だから、神社ごとに異なる。そのため、ゼロから考えることになる。
祭りの構造を考えるために、基礎的な概念をはっきりさせなければならない。柳田國男氏の説明の一つは「賓」の概念だった。つまり、神様は遠いところ来た尊い人と見立てられ、そのようにもてなされたということだ。神祭りは、神様のもてなしになる。もちろん、人を優しくもてなすために、好みを聞かなければならない。かなり前だったが、御神籤などを使って神様に聞けるだろうとも述べたが、仮に神様は本当に答えられる存在であるとしても、神産霊神社は実存しないので、この投稿を書く前に聞くことは当然できない。だから、神道の伝統などを考えて、適当に講じるつもりだ。
ここで、今考えていることの概要を紹介して、これからの投稿でその詳細を説明する。
まずは、神祭りは原則として夜間の秘儀とする。氏子崇敬者向けではないからだ。そして、奉仕する神職も、祈願祭などで奉仕する神職と区別したいと思う。人は違わないかもしれないが、その役割や位置付けは異なる。決済なども違うだろう。祭りには、神饌をもちろん奉るし、神楽なども奉納する。他の芸能や学芸を奉納する可能性もある。祝詞は、祭りの内容の紹介になるのではないかと思う。
神祭りの重要な種類は、神遷しがある。遷座祭はもちろん大変重要であるので、大祭になるに違いないが、毎日の降神も考えなければならない。氏子の祭りを思い出せば、小祭は拝殿で行うので、朝に神籬に降神してもらわなければならない。これは小祭になると思う。(毎日執りおこなう祭りを原則として小祭とするべきだろうう。)そして、中祭も執りおこなうが、その地位も考えなければならない。
神祭りは、参拝者は一人もいなくても執りおこなうことである。もちろん、神社の経済的な基盤も確保しなければならないが、架空な神社でそのことについて心配しなくても良い。暫くの間、このような祭の検討に少しこのブログを使わせていただく。