秘儀

神祭りを秘儀とすると前回書いたので、今回その意味を説明したいと思う。

まずは、繰り返しになるが、神産霊神社は存在しないし、この架空な神社の祭り体制は、私の神道と祭りの考え方を確定するためな勉強手法である。だから、神社の想定では極秘の祭祀であっても、このブログで書くことはできる。本当の祭祀ではないから、秘儀を書いても矛盾は一切ない。

そして、「秘儀」の意味は、祭祀は秘密であるということではない。広報はしないが、その存在は知られていることを前提とする。例えば、神祭りの小祭は、朝の降神の儀と夜の昇神の儀になるが、その祭祀があることは秘密とすることはできない。拝殿の中の神籬に神霊を降神していただく必要性は明白であるし、毎日の神職の動きもある。では、意味は何だろう。

「非公開」の意味は重要である。拝殿で行ったら、扉などを閉めてから執り行うし、参列するのは、奉仕する人に限る。傍聴することはできない祭祀である。つまり、存在は知っているとしても、見ることはできる人は少ない。

そして、式次第は文字で記録するが、その記録は手書きにするし、門外不出にもするし、読むためにある程度の資格を必要とする。そして、読む許可が出ても、写しも門外不出とする。読んで、覚えて、外で書くことは可能とするが、記録を持ち出すことは禁じる。そして、原則として式次第を公開することはしないように促す。拘束力はないが、読ませる人はそのような規定を尊重する人になるようにするので、漏れることは少なくなる。

この規定には、理由がある。

一つは、祭祀が失われないような工夫である。本当に秘密な神事であれば、知っている人が事故で亡くなったら、神事もなくなる。同じように、戦乱などが神社へ影響を及ぼしたら、神事が失われる。実際の例は多いし、大嘗祭の一部もそうだと言われる。書いておいたら、資料から再現できる。神宮の式年遷宮はそうだった。中世の中断の後で、延暦儀式帳などの史料に基づいて再開できた。その記録はなかったら、もうなくなった。

もう一つは、本当に秘密な儀式の内容は疑われるからだ。何を隠しているかと人が考える。大嘗祭にもそのような現象が見られる。しかし、内容を把握する方法があれば、このような疑惑が少なくなる。

最後に、このような儀式があれば、神社界の発展も多様性も期待できると思われる。つまり、神社の神職が別な神社に行って、その神社の秘儀などを勉強することはできる。そして、自分の神社に帰ったら、その儀式から刺激を得て新しい祭祀を創作することはできる。しかし、記憶は完璧ではないので、全く同じものにしようとしても、微妙な違いが発生する。それに、一から書き直すことになると、全く同じとさせる気はなくなると思う。自然に自分の神社に合わせる。

では、そのような狙いがあれば、なぜ秘儀とするかは当然の質問であろう。最後に掲げた多様性のポイントは一つの理由だが、秘儀の存在には意味があると思う。次回それを説明するつもりだ。


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