神巫と神主

神道の歴史を見れば、神に仕える人の名称は多数である。現在の一般的な呼び方は「神職」だが、「禰宜」と「宮司」もあるし、「巫女」も存在するし、「神主」という人もいる。神産霊神社のために、歴史から二つの名称を取り入れて、根本的に違う役割に当てはめたいと思う。

まず、「神主{かんぬし}」である。神主は、いわゆる仲執り持ちを担う。仲執り持ちというのは、人間と神に間に立ち、意思を伝える役割である。つまり、神主は氏子祭の祭主になる。参拝者と接して、案内したり祭祀を執り行ったりする。神主の役割は、神聖な区域と俗の区域の間に立ち、連絡を図ることだ。穢れと接することは避けられないので、毎日の奉仕の前に祓えが必要になる。神主は、記紀神話から天児屋根命と太玉命の役割に相当するし、『古語拾遺』によると、太玉命は高神産霊神の御子神で、天児屋根命は嘉神産霊神の御子神であるそうだ。高神産霊神と嘉神産霊神は神産霊神社の主祭神であるので、こと二柱を神主の守護神とするのは相応しいと思う。

そして、「神巫{かんなぎ}」である。この言葉は、単に「巫」や「覡」とも書いてあるが、神産霊神社の場合、「神巫」と表記する。神巫は、『延喜式』の祝詞で出てくるが、その場合朝廷の宮殿で祀られた神の神事を担った職業であるようだ。特に、大御巫が八神殿の祭祀を担ったようだ。八神殿とは、嘉神産霊神と高神産霊神が他六柱と一緒に祀られた施設だった。(現在の皇居の中の神殿がこの八神殿を受け継ぐ。)神巫は、神様の側に仕えるようである。神産霊神社では、神巫が神様に直接に奉仕する。普通の人と神様の間を繋げることではなく、ただひたすら神様に奉仕する。つまり、神巫が神祭を担当する。神巫は穢れをなるべく避けるので、境内の中で暮らして、一般の人とほとんど接しない。一般の人が修祓を受けたら、間接的に接すると思うが、大祭のための潔斎を完成していない人に直接に話さないだろう。つまり、俗世から隔離する存在になる。

もちろん、神巫も神社を出る場合はあるが、潔斎を解除して、そして戻ったらまた潔斎を通る。実は、神主の潔斎は神巫の潔斎の初段になると良いので、神巫の資格を取り戻す前に、神巫は神主として勤めることはできる。神巫まで昇進しない神主もいると思われるが。

神巫は、記紀神話で見れば、天宇受売神に相当する。記紀神話と『古語拾遺』で、天宇受売神の系譜は明らかにしていないので、神産霊神社の社伝で高神産霊神と嘉神産霊神の間に生まれたとする。神社の別宮で祀って、神巫の守護神とする。

次回、神主についてもう少し詳しく論じたいと思うし、その後神巫のことを詳しく考える。


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