神主

神主は、仲執り持ちをして、一般の人の願い事を神様に伝える。そのため、神社の活動に中心的な存在である。しかし、常時に俗世と接するので、穢れはいつもきになる。

禊祓と潔斎は重要だから、奉仕が始まる時点で、大祭の潔斎を行ってもらう。これは、潔斎殿の一夜を挟んで、2回禊をすることは基本だが、朝の祓えでは髪の毛の一部を切り離して奉る。それを毎日すれば、すぐにハゲ坊主になってしまうので、毎日させるわけにはいかない。

そう考えれば、神主を境内で止まってもらうのは良い。潔斎殿で別火の食事を続く限り、祓えの効果も続くと考えても良い。もちろん、毎朝の祓えは必要となるが、中祭の潔斎に準じる禊祓を行ってもらう。奉納するものは、神社が提供するので、事実上負担とならない。(初穂料は結局神社の財産になるので、神社の財産から出して、奉って、またもらったら、最後には何も変わっていない。)

こう考えれば、問題点が思い浮かぶ。神主は、境内から出たら、潔斎を最初からやり直さなければならないのか、という問題だ。ここで、二つの考え方がある。

一つは伝統を重んじて、穢れを重視する考え方だ。その視点から、潔斎を最初からしてもらわないと足りない。もう一つは、現実的な問題である。一番は、出張神事だろう。例えば、地鎮祭を執り行うために境内を出なければならない。その場合、禊祓が必要となったら、神事は行えない。境内に戻って、禊祓して、また出向くがまた禊祓に戻らなければならない。だから、伝統を誤魔化す。

潔斎には、特に重要な点があった。一つは別火の食事である。もう一つは血を接しないことで、そして死と接すること。この三つを取り入れたら、現実的な条件を設定できる。神主は、境内の外でこの三つの禁忌を破らなければ、神事を執り行うこともできるし、神社に戻ってから潔斎を最初からやり直す必要はない。神事の前に気を払うのは必須だが、後でちょっと余裕があるだろう。

そして、神主の養成も考えなければならない。この点について、後日に詳しく考えたいと思うが、ここで大まかに触れる。基本は、神道についての知識ではない。基本は、祭祀を執り行う所作などである。舞踊のようなことだが、祝詞奏上も含まれている。もちろん、祭祀の作法を教えるとき、その理由も教えるので、知識は自然に伴うが、知識を基本としない。知識はまだ不足していると判断しても、所作はちゃんとできれば、奉仕させても良い。しかし、祝詞の作文や神事の創作のために、豊富な知識は必要だと思うので、やはり神主の中の階級を認めなければならない。このようなことが複雑になるからこそ、後日に専用の投稿で取り上げたい。

次回、神主についてもう一つの重要なことを説明したいと思うが、別な投稿にしたほうが良い。


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