神主の装束

今回の投稿で、神主の装束について書きたいと思う。これは別な投稿に値する課題ではないと思われるだろうが、重要なことが関連する。

装束は、神社本庁の神職の装束に準じる。それは、平安時代の貴族の装束を継承する衣装であるので、伝統的でもある。確かに神道は奈良時代より古代に遡るので、さらに古の装束を導入しても良いが、神主の場合、平安時代は十分だ。

そして、装束を祭祀の階位によって分ける。小祭は狩衣とする。これは、神社本庁の原稿の制度と同じである。狩衣の下に白衣と袴を着けるし、烏帽子を被って、浅香を履いて、手に笏を持つ。中祭の場合、衣冠とする。この装束に袍と言う衣が含まれているし、被るのは冠である。(しかし、日本の冠だから、黄金と宝石はない。)大祭の場合、束帯を検討する。伊勢の神宮の御神宝御装束の中で、儀式に使われた衣装が見えるので、それに基づく可能性もあるが、主に女装であると思えるので、(神宮の祭神は女神であるからだ)慎重に考える。装束の詳細は、勉強と研究がもう少し進んだら決めたいと思う。しかし、基本方針は平安時代や奈良時代の男装にするし、すべての神主は同じ装束を着る。色などは、神主の階位によって変わるが、形は統一する。

一方、神主の候補を評価すれば、性別は問わない。女性は、神主になることはできる。ただし、祭祀の場合の装束は男装になる。

これに、理由がある。神主の守護神となる天児屋根命と太玉命は男神であるので、神主は男性であると見做す。そう見做すことで、生物学的な性別は気にしない。守護神との関連を強調したいが、性別によって人を排除したくないので、女性でも、男装させて、男性と見做す。

実は、このようなことに神話の前例がある。記紀神話で、須佐之男命が高天原に登る場面で、天照大神が男装にして出向く。そして、中世になったら、天照大神を男性として描くこともあった。ヒゲが生えている絵も残っている。しかし、女神であることは確実だ。男性の絵を表明した人も、女神であることを認めた場合もあるそうだ。(宝塚も100年の歴史を持っているが、この場合前例にならないだろう。)

男性と女性をはっきり分けることは、神道の伝統ではないようだ。性別をはっきりとしない神様は多いし、性別を曖昧とする神様もいる。そして、実際に性別をはっきりしない人もいる。そのような人がいれば、装束を決めるために男性か女性かとする必要があれば、戸惑って、問題が発生する。生物学的な性別を問わなければ、そもそも問題はない。

次回、神巫について論じるが、予測がある方もいらっしゃるだろう。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: