神巫

神巫は、女性と見做す。神主の話に続けば、驚く人はいないだろう。その理由をこの投稿で詳しく表明する。

まず、『延喜式』などで出る古代朝廷の巫は、女性だったそうだ。実は、童女だったそうだ。同じように、神宮と賀茂社に仕えた斎王は二人とも女性だった。(未婚の皇族の女性だったので、「いつきのひめみこ」と読む場合もある。)それに、明治維新まで皇居に鎮座した天照大御神の御霊代である鏡に奉仕したのは、女官だった。まだまだ例がある。神宮の式年遷宮の祭祀には、童女が重要な役割を担うことは多いが、明治時代までより一般的に仕えたそうだ。そして、神功皇后の神話を読むと、神様の神託を受けるのは、女性だった。日本の文献から目を離せば、卑弥呼も神様に近かったようだ。巫女は、伝統的に神がかりになって、神託を伝える役割は重要だった。最後に、神巫の守護神となる天宇受売神は、女神である。

神様に側近で支える人は女性である伝統は日本で根強い。儒教や仏教の影響で長い間表舞台から後退したと言えるだろうが、神産霊神社では伝統を蘇らせるので、女性とするのは適切である。

しかし、「見做す」というのは、神主と同じように生物学的な性別を問わないことである。神巫は女装になるし、女性の振る舞いにもなるが、性別は問わない。

これも、神道の伝統に根強い。神話を見れば、日本武尊は女装を装って活動する場面はあるので、神話まで遡る。そして、能楽と歌舞伎では、女装する男性は多いが、その両方は神楽から発生した。神楽自体を見れば、女装の場合は少なくない。私の氏神様の白幡八幡大神でも、禰宜舞では一つの舞われる神様は天宇受売神だが、舞うのは男性だ。宮司が女性になったらどうなるかわからないが、もしかして男神の舞は男装になるだろう。ここだけではない。雄勝の神楽を見る機会もあったが、それも男性が女装して女性の登場人物を演じる。

だから、男性が祭祀のために女装する伝統は十分ある。

神主の場合と同じように、性別は曖昧な人は問題にならないことは利点の一つだ。もう一つは、伝統を継承しながら、誰も排除しないことだ。つまり、男性とし生まれた人でも、神巫になれる。性別を問うたら、それは無理だった。確かに、女装やヒゲを生えないことは必要であるので、なりたくない男性は多いだろう。本当にあったら、神巫の大半は生物学的に女性になると思う。しかし、それは問題ではない。神巫になるのは組ではない。なりたくない人は、ならなくても良い。男性は男装に拘れば、神主になっても良い。

では、神巫の役割について、次回ちょっと詳しく論じたいと思う。


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