神巫の潔斎

神巫の役割は、神様に仕えることに限る。神様の側近に奉仕するので、穢れを避けることはとても重要である。そして、普段境内を出る必要はない。神主と違って、神巫は出張神事を執り行わないからだ。では、その穢れを避ける隔離を具体的にどうすれば良いのだろう。

もちろん、神主と同じような禊祓は良い。しかし、俗世から神聖な区域に移るために、一夜の潔斎は足りないと思える。律令制では、大嘗祭の前の潔斎は数日だったし、二つの段階に分けられていた。そして、伊勢の神宮の斎宮が就任する前に、一年間以上の潔斎があった。京都からちょっと離れた離宮で準備をしてから伊勢に赴いたそうだ。ここで、神巫は神社の職員であることを前提とするので、時間が費やされても特に問題にならない。潔斎の習慣として、潔斎殿での宿泊のように籠ることもあるので、これも導入したいと思う。これは、時間がかかることだが、職員だから仕事のための時間がある。

では、次第を考えよう。まず、洋服を脱いで裸で自然水で禊をしてから、純白の和装に着替える。この和装の帯として、稲わらの縄を使う。(紐も使うけれども。)そして、潔斎殿で一泊する。その時、別火で調理された食事を食べるし、獣肉は食べない。活動は、神社関係の勉強やお稽古にするだろうが、一般の人と接しない。そして、翌朝、償いものを祓えに奉る。それは、髪の毛の一部と爪の一部になる。これは、須佐之男命の祓えに因むことだが、祓戸神社での神事になる。その一部として、お湯での祓も入れる。また潔斎殿で一泊する。翌朝、祓えの神事を行うが、それで縄をとって、解ける。縄の部分を川に流す。この縄での潔斎は、春日大社でまだ行われているが、歴史は長いようだ。紐もあるので、潔斎服は落ちない。この神事の中で、お塩を撒いて祓える。また一泊する。この三泊の間、潔斎服を脱がない。それは、穢れが服に移るような儀式である。

三つ目の朝に、河原に行く。そこで、潔斎服を全て脱いで、燃やす。そして、川に入って、お祓えをします。出たら、斎服を着る。この斎服について、まだ決まっていない。襷と鬘には清浄との長い関係があるので、その一部になるが、鬘と襷だけであれば、寒いので、そのほかの斎服を考えなければならない。(襷と鬘は、神宮の式年遷宮や春日大社の大祭などで、清浄を所長する装束になる。)

これで、潔斎の第一段階が終わる。続きはさらに奥の潔斎殿に移る。ここで、ちゃんとしたお風呂をしますし(三日間していないから)、毎日の禊もする。象徴を考えれば、禊をする度に、服を替えるべきであるが、形は変わらないだろう。この部分について、もう少し感がなければならない。第一段階は、世俗を捨て落とすことを象徴するので、第二段階は神様に近づくための準備だから、象徴はちょっと違う。その意味について、まだ考えたいと思うので、後日に続く。


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