神巫の準備の二つ目の夜には、大宮女神の神事を執り行う。大宮女神は、『古語拾遺』によると、太玉命の「不思議な力によって生まれた」神だそうで、神の側近で仕える神様であるので、神巫の準備には相応しいと思われる。太玉命は高神産霊神の御子神であると言われるので、主祭神の御孫神に当たる。それも適切な縁であると言えよう。
では、神事の詳細を考えよう。伊豆女神の神事で祓えが完成されたので、この神事で神様の力を得ることを象徴する。延喜式祝詞では、大宮女神は食事の調理と提供と関わるそうだし、氏子祭では神様との共食を神様のご加護を得ることを象徴する儀式として取り入れたので、やはり食事は適切だと思う。そして、伊勢の神宮の式年遷宮や神嘗祭の大御饌の儀や新嘗祭と大嘗祭の儀式に見える形も取り入れたいと思う。それは、夜に2回にわたって御饌を奉って共食することだ。
装束だが、巫女の装束と違って、平安時代の貴族の女性の装束にちなむと思う。女子神職の装束は、戦後間もないの時点では、小袿という装束だったが、それは十二単の簡略した装束になるようだ。(見た目はそうだが、装束の歴史はそれほど詳しくない。)実践的ではないと思われるので女子神職の装束として使用されていないが、この神事は特別な神事だから、使っても良いと思う。(ところで、今でも使用しても良いと思う。神社本庁の装束の規則を確認した時に、まだ許可はあった。ただし、着用する神職は見たことはない。)
この神事は、大宮女神の神社で執り行う。日没で神巫が土間の拝殿に入って、修祓を行う。(禊祓は原則としてできたが、神事には修祓は欠かせない要素だから、行ってもらう。)そして、本殿への扉を開けて、神事の趣旨を伝える祝詞を奏上する。
その後、拝殿で火を起こして、御饌の調理を行う。この火は、火打石などで起こすし、調理が終わったら清砂で消し止める。調理する御饌の内容はまだ決まっていないが、ご飯はもちろん、海の幸も入るだろう。御饌は重要な要素だから、ちょっと特別になるが、神巫が自分で調理できることも重要である。
調理ができたら、特別な容器に詰めて、本殿まで持っていく。そして、本殿の中の神の座の前で、御饌を奉りながら、自分も食べる。食べ終わったら、徹饌の儀で容器などを下げる。それから、また本殿に戻って、本殿で祝詞の奏上に続いて本殿で寝る。布団は、神の座の前で敷く。
本殿に入ることは珍しいが、この段階なら神巫は特別な禊祓を通ったので、入るための資格を持っていると思う。そして、本殿に籠って寝ることは、神様のご加護を得ることを象徴する。だから、この睡眠は儀式の重要な一部として位置付けたいと思う。
日の出の前に、神巫が起きて、拝殿に戻ってまた御饌を調理する。調理が終わったら、祝詞の奏上に続いて本殿に上がって、前と同じように神様と一緒に食事をする。
これが終わったら、徹饌の儀を行って、扉を閉める。これで、この神事は終了とする。