神産霊神社の神祭りは、神巫が斎行するし、氏子や共同体の意思を伝える役割はないので、誰も参列しなくても構わない。それでも、参列することを可能としたいと思う。今回の投稿で、その理由と方法について説明する。
祭祀自体の立場から見れば、参列者がいれば、さらに厳粛に執り行えると思える。つまり、神様のために複数の人が参列すれば、さらに尊敬や畏敬を表すので、祭祀の意義を深める。
そして、秘儀を持つのは良いが、完全に秘密とすれば、噂や疑いを生むことは少なくない。神巫になるのは簡単ではないので、一般の人にとって神巫が見えることは、見えないことと等しい。一方、一般の氏子崇敬者は参列できれば、それほどの秘密はあるとは思えないだろう。あったら、すぐにバレてしまうからだ。神道の場合考えられば具体例は、大嘗祭の秘儀の学説である。それは、大嘗祭で天皇が神様の依代になった女性と性交したという説だ。大嘗祭の儀式には誰も参列できなかったのでこの仮説があった。(現在もそうであると思う人はいないだろうが。)
最後に、氏子崇敬者の立場から考えれば、神巫になれない人は少なくない。神巫は神社の職員だから、神巫になっていない氏子崇敬者はなければ、神社の経営が厳しくなるだろう。一方、神祭りは神社の祭祀の中心である。神社を支える人たちには、その祭祀に参列できないと決めるのは良くない。
しかし、神祭りには清浄も極めて重要であるし、厳粛だから気軽に参列できる設定は良くないと思わざるをえない。だから、条件を設ける。ここで、バランスをとるのは重要である。
まずは、人の資格について考えなければならない。「一般」の人といえども、誰でも参列できるとは限らない。ただし、一般の生活を送っているうちに満たせる基準を設ける。神社との絆は事前に持たなければならない。幸い、このような基準をもう決めた。大祭を願うための基準である。氏子祭の大祭と神祭りの度合いは似ているので、同じ基準を使用しても良いと思う。
そして、禊祓の必要性を考えなければならない。これで、大祭と同じ禊祓は足りないと思う。神巫と同じように神様に近づくので、神巫と同じような潔斎は必要だろう。ただし、奉仕するための霊力を神様から授かる必要はない。奉仕しないからだ。だから、三泊に亘る禊祓をさせるが、神巫がそれから執り行う祭祀は必要としない。つまり、神祭りに参列するために、まず三泊しなければならない。三連休があれば、一般人でも金、土、日の夜に禊祓をして、月曜日の祭日の神祭りに参列できる。大御饌の祭りは毎日執り行うので、少なくともその祭りは可能になる。(ただし、月曜日の夜の大御饌に参列できるので、遠方から来たら、月曜日いない帰るのは厳しい。)
なお、神祭りに参列する人は、ただ傍聴する。氏子祭などで参加するが、神祭りは参列者のための祭ではないので、参加はない。一方、祭祀は体験できる。