個人的に他人の自由を尊重すれば、倫理の基本がそれで整うと思う。この投稿で、その簡単の例を列挙して、この後の投稿でもう少し難しいことを検討するつもりだ。
まずは、暴力と言える物理的な打撃は、自由を制限するのは明らかだ。ケガと痛みのせいで、自由に動けなくなるからだ。場合によって、その制限は長いか短いかが異なるが、相手の自由に制限を課すのは変わらない。
窃盗も同じだ。人のものを盗んだら、そのものを使用する自由も奪う。その影響の程度は、予想しにくい。例えば、ちょっとしたお金を盗んだら、普通に影響は小さいと思われるが、場合によって大きな計画を台無しにする損失になる。このようなことに配慮して、窃盗などをするべきではないと言える。
そして、人を脅して何かに追い込めることはもちろん禁止されている。このような行為は直接に自由を奪おうとする行動であるので、相手の自由を尊重すれば当然避ける。
最後に、相手を騙すことを考えよう。これも、相手の自由を奪う行為であると思うが、この場合は上記の状況ほど明らかではない。騙されても、相手が自分に決めるからだ。それに、しないように決めることもできる。脅されれば、事実上しないように決められないし、窃盗や暴力で物理的に意志を実現できなくするが、騙しは違う。
これで、嘘をついて相手の行動をある方向へ指導する行為を「騙し」と定める。虚偽の内容はなかったら、「騙し」の範疇から除外する。そのような行動にも問題があるかもしれないが、後日に考えたいと思う。だから、今考えている状況で、意図的に虚偽な内容を提供して、相手の決断を誘惑するということだ。相手の立場から考えよう。その虚偽の内容によって判断するとしよう。(嘘であることを見通せば、騙しが失敗に終わる。)真実である前提でとった決断は、目標に達しないと思える。例えば、「これは宝石だから、100万円で売る」という嘘であれば、相手の予定は「宝石を入手する」ということだ。しかし、嘘で、その自由を奪う。宝石を入手する力を嘘の宝石で費やすので、あったはずの自由がなくなる。
だから、他人の自由を尊重すれば、騙しはしない。
嘘をつくことも一般に慎重になるが、一切に禁じるわけではない。つまり、相手の計画と全く無関係の内容であれば、嘘をついても相手の自由は奪わない。特に自分の個人的なことであれば、自分の自由を守るために嘘をつくこともあるし、第三者の自由を守るためにも嘘をつく場合もある。(哲学で有名な例は、ナチスドイツの時代に自分の家にユダヤ人を隠している。警官が家に来て、「ユダヤ人はいるかい?」と尋ねる。この場合、この倫理に基づいて、嘘をつくべきだ。ユダヤ人の自由の方を優先するべきであるからだ。)実は、暴力も同じだ。原則として、他の人の自由を保護するために、または本人の自由を保護するために強制的にさせなければならないことはある。前にも述べたが、このような許可を無意識悪用しないように、倫理的なルールは必要だが、そのルールを設定する段階にはまだ至っていない。
この段階で、相手の自由のために禁じる行為を考えたが、他には積極的にするべきこともある。それについて、これからの投稿でちょっと考える。