先日、他人の自由を重視すれば、倫理の基本はもう整っていることを指摘した。暴力や窃盗、詐欺は相手の自由を損なう行動だから、すべきではない。しかし、それだけではない。今回、説得について考えたいと思う。
ここで「説得」で指す行動は次のようなことだ。相手にある方針の良さを見せて、その方針を受け入れるように促すことだが、一切嘘をつかない。理由として掲げることや動機として提供することはすべて真実である。(説得する人が間違えて真実であると思い込む場合は、当分の間留意する。)
この状態でも、相手の自由を尊重すべきだと私は思う。ただ真実を言うことは、必須だが、十分ではないのだ。相手の決断に影響を与えることにも配慮しなければならない。
簡単な例から始めよう。決断を焦らせれば、相手は自分の本当にやりたいことを見落として、好ましくない方向へ行ってしまう恐れがある。だから、考える時間を十分与えるべきなのである。そうしないと、倫理違反である。
同じように、問題になる可能性のある側面を指摘すべきだ。その側面を考えれば別な決断にする人もいるのだろうから、相手はちゃんと考えたことを確認しなければならない。もちろん、常識であることを指摘しなくても良いが、相手は思っていないと疑ったら、明示した方が良かろう。つまり、自分の推進する選択肢を拒む理由をわざわざ提供すべきである。
その上、人間の心理的な弱点を掴んで利用するべきではない。例えば、興奮している間に決めてもらうのは良くない。冷静である状態で決めてもらった方が良い。酔っ払った時に決めてもらってはいけない。これを考えたら、バーで性交相手を探すのは倫理的ではないだろう。そうではないと言えるが、それはその夜の相手にせず、翌日、落ち着いて再会して、どうするかを決めることを前提とする。
さらに、心理的に人間は特定のミスをする傾向は強い。例えば、ある商品を憧れている人と関連させて、この商品を持っていればその人に近づくかのように思わせるのは良くない。むしろ、商品のメリットなどを客観的かつ冷静に表明するべきだ。
これは、法律の規定の範囲を超える可能性は高いと思う。一部で導入するが、一般的に法律が関与すればむしろ問題になる。例えば、保険を買えば、1週間以内考え直したら、無償で解約することはできる。それは、ちゃんと考える時間を与える工夫だから、最初に挙げた要素に該当する。しかし、多くの場合、このような倫理違反は、自由を制限するかどうか、言い難いのだ。有名な女優が入っている広告は、自由を制限するだろう。ちょっと言えないだろう。しかし、自由を尊重すれば、決断は悪影響を受けないように気をつけるべきであると思う。
この観点から、なるべき正直にすることの重要性も見える。相手は、すべての言われたことに基づいて決めるので、その根拠はなるべく完成しているのが良い。
つまり、自由主義を超えなくても、相手に対するかなり配慮する態度をとるべきだ。